二人の演奏は「Presence Of The Lord」から始まります。この1曲のためにウインウッドはあの木の年代物のオルガンを持ってきたのでしょうか。(メインテナンスが大変でしょうね。他の人も弾いていましたが。)最初はクラプトンが歌い、次からはかつてのレコードのとおりウインウッドが歌います。しかし作者であるクラプトンの自己主張なのか、途中から一緒に歌い始めて台無しにしてしまいます。続いて「Can't Find My Way Home」と「Had To Cry Today」です。YouTubeで見られるとおりです。
「Can't Find My Way Home」でギターを弾くウインウッドがクラプトンを窺うのですが(目と目で交信しているのかもしれません)、その表情にびっくりしました。まるで子供の目なのですね。なにかもう感覚だけのウルトラ・ピュア状態で頭が空っぽみたいな感じです。この人にとって音楽とはこういうものなのかと初めて知った気がしました。
そのあとクラプトンはギターを置いてステージを去ってしまい、ウインウッドのソロになります。徐ろに始まるのは「Mr. Fantasy」でした。いかにもウインウッドはトラフィックであり、トラフィックとは Mr. Fantasy なのですね。(80年代にあれだけ全米第1位のヒットを飛ばしていても、そんなのは黄金時代ではなく、そんなのが代表曲であるわけないのです。シンセサイザーの時代にはギターの名曲を作らなかっただけ、とでも?)
Dear Mr. Fantasy play us a tune Something to make us all happy Do anything take us out of this gloom Sing a song, play guitar Make it snappy
You are the one who can make us all laugh But doing that you break out in tears Please don't be sad if it was a straight mind you had We wouldn't have known you all these years
このフェスティバルは舞台のデザインも気が利いています。YouTubeではよくわかりませんでしたが、背景の横縞はネオン管を並べたものです。簡素で昼間も夜もきれいで、舞台裏も同様なんですからしゃれています。ついでにディスクをよく見たら、2枚目の写真はウインウッドとクラプトンのメンバーじゃありませんか(傷だらけのギターとペパーミントにミルクを注いだようなきれいな色のギターです)。へーえ……。(イギリスのアマゾンで「Live From Madison Square Garden」とふたつで31.92ポンドでした。)
おまけのCDには1994年11月にスタジオ録音した 4000 Headmen、John Barleycorn Must Die、Low Sparks Of The High Heeled Boy の3曲が入っています。ウインウッドとキャパルディと二人のアコースティック・バージョンです。ところが John Barleycorn の途中でウインウッドがつかえてしまって、「長いこと歌ってないから入るとこを間違えちゃったよ」とか、ハモりそこねたり、やりとりがあってまた歌い始めるのでした。(映像を見たかったものです。)このときすでにクリス・ウッドは亡く、この10年後にはキャパルディも病死してしまいます。
関連書籍 「貧困と不正を生む資本主義を潰せ----企業によるグローバル化の悪を糾弾する人々の記録」(原題 Fences and Windows -- Dispatches from the front lines of the globalization debate)ナオミ・クライン著、松島聖子訳、はまの出版 「ブランドなんか、いらない」(原題 No Logo)ナオミ・クライン著、松島聖子訳、大月書店
「Stop Dreaming」は「A New Hope」と並んでロン・ポールの一番有名なビデオでした。再び埋込みます。過去〜現在の発言、予備選での発言が収められています。(ついでに、民主党予備選でまともなことを言っていたのはオバマではなく Dennis Kucinich。)本書はこのビデオに出てくるような事柄を詳しく述べたたもの、ということです。
ロン・ポール議員の発言集『Stop Dreaming』(日本語字幕埋込版)
さて、ロン・ポールはテキサス州選出の共和党下院議員で、彼の大統領選挙戦は「Who Is Ron Paul?/ロン・ポールって誰?」というキャッチフレーズで始まりました。それくらい全国的な(というか合衆国全体では)知名度が低く、メディアも泡沫候補扱いをしました。しかし予備選の間にぐんぐんと支持を集め、共和党のディベートでは圧倒的な存在感を示し、日本にいる私さえ知ることになりました。残念ながら本選に進むことなく退きましたが、その後は専門の金融問題に関してメディアへの登場が格段に多くなり、「若くて高学歴の浮遊層」を中心に熱烈な支持者を増やし続けて、先月ついに2012年の大統領選に立候補を表明しました。(現在ペイリン、ロムニーより支持が高いとのことです。)
あらためて思うのですが............アメリカ合衆国は(偽)ユダヤ人にのっとられて、(偽)ユダヤ人の(偽)ユダヤ人による(偽)ユダヤ人のための政治がずっとおこなわれてきた結果、国も民もボロボロになったということなんですよね、実は。その国家存亡の瀬戸際に「こんなのは間違っている、合衆国憲法にてらして考えよう、建国の父たちの声をきこう」と大正論で訴えるロン・ポールが現れたからみんなビックリしたのです。さらに驚くのは、自身が大統領選を退いた後は「第三政党に投票しましょう」と、ラルフ・ネイダーなど二大政党以外のリバタリアンの候補者達がメディアの前で演説する場を作りさえしました。共和党のディベートは今見ても大傑作で、そこで目を覚ましてしまった人達は彼が大統領選を退いても終わりにすることなどできず、彼の提唱する「自由への戦い (campaign for liberty)」を続け、一つはティーパーティーへの流れを生み、大成功を遂げたわけです。ロン・ポールの大統領選は他の候補者と異なり、たった一人で国中に大きな覚醒と運動をもたらしました。広告代理店など使わない本当の草の根だけで。こんな選挙は世界中でも他にありえないでしょう。(そういう動きを一切報じない日本という国は......のっとられているんでしょうネ。)
それで、6月2日付の「帰っていたスティーブ・ウインウッド」で埋込んだ Talking Back To The Night の中にあったスナップショット(2:12 〜)が、このコンサートの時のものだとわかりました。( ボーカルをやった Tom Petty、Jeff Lynne と。)それでウインウッドが珍しくペンダントをしているのですが……
還暦を迎えて枯れた声がまたいいっ。(I'm Not Drowing はCDよりこっちのほうがいいと思います。)70年頃の南部の黒人のお爺さんがポーチでブルーズを歌っているみたいな、そういうお爺さんになるのかもしれません。2008年。田舎のコテージのスタジオ。どっかに窓がありましたが、騒音なんかないんでしょう。ここで「セレブなシェフ」がいろんな風味ををバランスよく取り入れて一つのお料理を作りあげるように、いろんなジャンルの音楽を取り入れながら曲を作っているのだそうです。室内のファブリックも素敵でした。2009年のマジソン・スクエア・ガーデンのライブを楽しみしていると話します。(私もDVDの届くのが楽しみです。)そういうわけで、スティーブ・ウインウッドは(いつだったのかはわかりませんが)正しいときに正しい場所へちゃんと帰っていたのでした。迂闊にも何年も知らずにいましたが、残念とは思いません。これから聞けばいいんですから。2008年の「Nine Lives」から、おそるおそる遡ってみようと思います。
私は中学生で「ミュージックライフ」の熱心な読者で、ウインウッドの記事も毎号読み写真を見ました。でも私の知る限り当時テレビやラジオでトラフィックの曲がかかったことはなく、初めて聞いたのは友達が貸してくれた出たばかりの「Blind Faith」でした。その頃はクリームがカッコよかったからエリック・クラプトンのバンドとして聞きましたが、いい曲ばかりだと思いました。翌年くらいにテレビの「ナウ・タイム」というアメリカのサブカルチャー番組で Hole In My Shoe を聞き、素敵だーと思いました。初めての自分のレコードは1972年で「Paper Sun」です。これは憧れの岡井さんが四人囃子として(たぶん初めて)ステージに立つというので今はなき銀座のヤマハホールに聞きに行ったとき、帰りに貰いました。何故か出口で大きな段ボール箱からお客の一人一人にシングル・レコードをお土産に配っていて、私が貰ったのがトラフィックだったというわけです。(B面は No Name, No Face, No Number。)(たぶん在庫処分で、一緒に行った友達が貰ったのは演歌でした。)そんなぐあいに、いちいちいろんなことを思い出します。
ある日突然ギターを置いてハンドマイク! 楽器を持たずに歌う姿を初めて見ました! Finer Thing (1987) さらにマイクも置いて踊りだすじゃありませんか! そして明らかに音楽とは不釣り合いな、胸を押さえていないと落こってしまいそうな服のお姉さんがクネクネしたり、おなかを出したお姉さん達が髪をふり乱して踊り始めます。Higher Love (1986) それからとうとう歌うのをやめて歌の雰囲気づくりをします。一人うらぶれて町を歩く男の場面と、(モデルか本当のガールフレンドかわかりませんが)男が恋人と一緒で幸せだった場面を演じます。Back In The High Life Again (1986) しかも時代は後になりますが、YuTubeには新しいアルバムの発売についてウインウッドにインタビューしたCBSのニュースまでありました。
……あああ、ちょっとそれは違うでしょうと2011年に言っても、それが1980年代というものでした。そして驚いたのは、Wikiでディスコグラフィーを調べると、ちょうどそういうことをやっていた(と思われる)1986年から1990年まで、シングルが毎年全米第1位です。イギリスやドイツでは30位や50位でも。たとえば1988年の Holding On はビルボードの全米アダルト・コンテンポラリー・チャートで1位、メインストリーム・ロック・チャートで2位。でもアメリカ以外(イギリス、ドイツ、オランダ、ニュージーランド、カナダ)では100位圏外という落差はいったい何なんでしょう。明らかにアメリカ市場に的を絞った戦略の結果ですよね? だから……犯罪をにおわす導入部、娼婦のようなけばけばしい女達、貧しい黒人街の人々、何十年か前のモノクロの……そこを通り過ぎる真っ白なスーツを着た白人男のウインウッド。頻繁に目を射る不快なフラッシュ……なのです。なんとまあウインウッドの音楽に対してお祖末な。だいたいビデオ用の大根役者の群れがウインウッドの音楽をもり立てることができるんですか? (音を消して見れば、どのビデオもどれほど下品で disgusting な映像か誰でもわかりますよ。)こういうのはみんなたちの悪い大衆操作の記号でしょ? ともかく性や暴力や犯罪をちらつかせればアメリカでは売れるということなのでしょう。(アメリカ人の潜在意識は既にそうとうやられていたんですね。)アメリカのミュージシャンよりはましでしょうが、でもああいう醜悪な映像で音楽を汚してほしくありませんでした。
Steve Winwood, Eric Clapton: Had to Cry Today (2007)
ウインウッドは骨の髄までミュージシャンですねっ! すごーいっ! 演歌でもポップスでも若いときの歌を歌う人は楽なように変えてしまうのが普通ですが、この人は1969年の Blind Faith のときとまったく同じじゃありませんか。ただの1つの音も変えないって……すごすぎ。(だからもう Sea Of Joy を歌わないのかもしれません。残念ですが。)それで、え、なに、二人が同時に弾いている!! すごすぎすぎ……。そして今になれば、Presence Of The Lord (クラプトン作)よりも Had To Cry Today や Can't Find My Way Home (ウインウッド作)のほうが聞きごたえがあるし舞台映えしますね。なんちゃって。最後のハグは……クラプトンはほんとうにスティービーが好きなんだね。
こんなはずではなかった人生を戸惑いつつ生きる初老のおばさんです。(Kuzupon, author of this blog) In "Shopping Syndrome", I describe the little old/new things I bought in everyday life. I like small toys, pretty things, good foods, and many useless objects.