お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2011年5月30日

原宿「茶茶」はやめておく

ある日曜日、原宿で友達とチェコ・レストランのカフェ(ano)に行ったのですが、その日に限って貸切でした。おりしも大雨でしたから真向いのカフェらしきお店に飛び込みました。入ってから気づいたことに、それは「和カフェ」というもので、「茶茶」という名前でした。

いやはや恐れ入りました。コーヒー一杯のつもりが日本茶のお店だった、という所まではいいのですが。お茶の葉っぱはいろいろ種類があり、玄米や有機野菜を使った食べ物もあるお店です。しかしお茶はデザート(スイートともいう)とのセットのみ。一番安くて1050円です。しかし写真入りのお品書きを見ると、どれもおいしそうに思えないものばかり。それでも抹茶のチーズケーキなどは売り切れで、アイスクリームしかないとのこと。しかたなく私は「茶茶パフェ」とお茶のセットにしました。1575円です。(「銀座かのこ」もビックリ。)

中国茶のような入れ方ですが丁寧に入れてくれるお煎茶は、家でゆっくり飲むときくらい美味しかったし、差しがきくので何杯も作ってくれました。でもガラスのピッチャーで供されるのはちょっと......。


しかし「茶茶パフェ」はそんな些細な違和感を吹き飛ばしてくれました。自家製の黒糖アイスクリームは美味しかったと認めましょう。(友達の抹茶アイスはカチカチに凍っていてすぐに食べられませんでしたが、私のは食べごろでした。)しかしお茶の茎をふりかけてあるのは口の中で邪魔。わらべ餅はベロベロで柔らかすぎるし、小さすぎる白玉は長く水に浸しすぎた時の味で、寒天も味気がなくて、何でも入れりゃあいいってものじゃありませんよ。でもそこまでは我慢しました。しかし次は餡で、これが塩味です。しょっぱい餡なんかひと口で勘弁。その下のコーンフレークと共に残しました。とても食べられたものじゃありません。友達は「茶茶パフェ」より小さいものを注文しましたが(コーンフレークが入ってないだけの違い?)、彼女は私より残しました。

私達は楽しい時間を過ごし、彼女達はお店のことをけして悪く言いませんが、私は謝らずにはいられませんでした。お店の案内を貰って帰宅後見てみると、

VVV東京Vシュラン2、和風スイーツランキング第2位

だそうです。ご立派ですね。(でもVVV東京Vシュラン2って何ですか?)ふだん私は特別に興味がない限り「雑誌で紹介されました」「テレビで紹介されました」「△△△を受賞しました」という広告を貼っているお店を避けます。たいてい「不味い」からです。しかしこの日は雨でしたから、友達をあまり歩かせたくなくて、お店の看板も見ないで入ってしまいました。失敗でした。

日本には伝統的な「あんみつ屋さん」や「甘いもの屋さん」があり、甘味として完成された「あんみつ」や「クリームみつ豆」や「豆かん」を供しています。これはたいてい何処で食べても美味しいものです。いったい何が不満で、こういった悪しき「創作」が生まれるのでしょう。しかもこんなべらぼうな値段で。こういうお店が5年も続くとは、この町を訪れる人達の味覚が既にそうとう破壊されているとしか思えません。嘆かわしいことです。

2011年5月26日

ピーター・フランプトンの変わらない変遷


Peter Frampton: 1968, at the age of 18
(近日中に古いミュージックライフを押入から出してくる予定です。)

ピーター・フランプトンといえば希代の美少年でした。そして「本当はギターが上手いのに、顔が良すぎて実力を認めてもらえない損な人」と言われていました。女の子にキャーキャー言われるアイドルなんかに音楽ができるものか、というわけです。一方「誰からも好かれる人、彼を悪く言う人がいない」ともいわれていました。いずれにせよ、私の頭には18才のフランプトンの顔写真が焼き付いています。なんてきれいなんだと思いました。スケッチブックの画用紙に柔らかい鉛筆で何度もそのハーフシャドウの肖像を写しとろうとしたものです。だからといってハードやハンブル・パイのレコードを買おうと思ったことがないのですが。この雑誌の長いインタビュー記事で覚えているのは「僕は結婚という束縛なしに一生ひとりの女性と暮らしたい」という言葉です。子供にはよほど刺激が強かったんでしょう。私はビートルズに夢中な中学生でした。

The Herd: Paradise Lost (1968)



うわー、イギリスのポップスですねえっ! 夢のような世界です! 1968年と言えば私は小学6年生〜中学1年生。ラジオから聞こえてくるスタックスやモータウンのリズム&ブルーズにしびれていましたが、グループサウンズも好きでイギリスのポップスにも惹かれはじめていましたから、ポップスの本場のこんな曲を聞けば、(顔を知らなくても)胸がわくわくして憧れたと思いますよ。私は今でもずーっと60年代の音楽が大好きです。

60年代ですからドラマーもパフスリーブです。日本の「オックス」みたいですね。そういう時代でしたよね。あとになって後悔しない服装をしているのはピーター・フランプトンだけですね。いくら流行りでもヒラヒラは好きじゃなかったのでしょう。このあとハードを脱退してスモール・フェイセズのスティーブ・マリオットとハンブル・パイを結成します。翌年には何をしていたかを見れば、宜なるかな。(埋込みができない動画のため、ジャンプして聞いてください。(動画には1968年とありますが、Wikiによればこの曲のリリースは1969年7月です。)(H25/5/3: 2年後に来てみたら貼れました。)

Humble Pie: Natural Born Boogie (Aug,1968)



かっこいい! スティーブ・マリオットはお洒落なモッドだと思っていましたが。フランプトンもハードの時とは別人のようにいきいきとしています。ハンブルパイってすごいバンドだったんですね。こうした映像を当時「ビートポップス」で放送したとしても、ヤワな子供の私が受け入れたか疑問ですが、今 YouTube にあるハンブル・パイのライブを聞くとマリオットのボーカルに圧倒されます。(ロッド・スチュアートやロバート・プラントは粗大ゴミですか?)しかしそれだけにハンブル・パイはスティーブ・マリオットのバンドになっていくのでしょう。フランプトンがいつまでもそこに留まらなかったことは後でわかります。

1970年にビートルズが解散すると、大きな星はつかみ所のない4つの星屑になり、音楽の世界は重心を失ったかに見えました。私は何を聞いたらいいのかわからなくなって、そのうち入れ替わるように岡林信康や、そのライブで知ったはっぴいえんどに傾いていきました。イギリスではブリティッシュ・ロックが全盛期を迎えることになり、ちょっと離れると誰が誰だかわからなくて、60年代からいる人以外ついていけませんでした。しかもそのロックがくせ者で……そこでは音楽がよければ容姿など関係ないのです。ハードロックが盛り上がるほど容姿がアレで……才能のある人には幸せな時代でした。だからマーク・ボランが登場すると、世の中も私も友達もかなり盛り上がったものです。その後1974年くらいからラジオを聞く時間ができて、60年代を掘り返しつつ、再び同時代の英米音楽に触れるようになりました。まあ、私はそんな状態でした。ビージーズがディスコ音楽に転向して、フリートウッド・マックがイメチェンして、ホール&オーツがヒットを連発して、沢山の一発屋さんが出没しました。

その70年代半ば、フランプトンは突如舞い戻ってきたのです。

Peter Frampton: Show Me The Way (1976)



冒頭から面白い音が聞こえますが、トークボックス(talk box)といって、ギターの音を口から出しているのです。ギターの音で喋ったりします。

でも本当は「突如」ではなく、彼は音楽をやめてはいませんでした。レコードを出していましたし、アイドル時代とは違ってお客を集めるのも大変でしたが、借金しながら自分の力でライブを続けていたのです。しかしそのライブがだんだん評判をよんで、いつのまにかとんでもないことになっていったので、レコード会社がライブ盤を作ることを決めました。録音が済み、スタジオでフランプトンが「どの曲を入れようかな〜、これは外せないし、こっちも入れたいけど……」と悩んでいると、社長がやってきて録音を聞き、その場で「2枚組にしよう!」と決めてしまいました。フランプトンは驚喜します。2枚組は値段が2倍で売り上げに響きますから、よほどの確信がなければありえません。ましてやライブ盤では。でも鶴の一声ですからね。だから彼は思い通りに作り、その年何百万枚の売り上げを記録することになるレコードが生まれたのでした。(当時はNMEとかRolling Stoneとかよく買っていましたので、そんな記事を読んだ記憶があります。)

Frampton Comes Alive! (1976)



私も買いました。(このジャケットは好きじゃないんですけど。)ハンパじゃない大歓声が感動的で、こちらの気分も盛り上げます。何曲か好きなものばかり聞いていましたが、ひと言でいえばとっても気持ちのいいアルバムでした。「いつでも夏を思い出す」と言う人がいましたが、そういえば私も自分が聞いていた部屋の気持ちのいい夏を思い出します。このアルバムからは次々ヒット曲が生まれ、この頃は年がら年中フランプトンの歌が聞こえたように思います。

70年代に聞いていたのは米軍の極東放送(FEN)で、とくに土曜日の「アメリカン・トップ40」は欠かしませんでした。そういうときは好きなのも嫌いなのも、流行った曲を全部聞いているわけですが、80年代に入って働き始めるとラジオから離れ、自分の好きな音楽しか聞かなくなりました。フランプトンのその後も全然知らないのです。

Peter Frampton: Lying (1985)



いきなり80年代のシンセの音。「1時間前に他の男と会っていたのを知っているんだよ、この嘘つき〜」というつまんない歌詞のキャッチーな曲をすごくカッコよく歌っています。ギターが凄っ。しかしキーボード・プレイヤーが演奏中にやたら派手に動くのは80年代の特徴で、それは鍵盤楽器すなわちシンセサイザーの台頭もしくは浸食の現れでしょうか。80年代の味付けは60年代からのベテラン達にも影響を与え、それぞれが取り入れています。でも80年代のために生まれて来た人達に太刀打ちできたんでしょうか。ヘビメタはヘビメタだし……。ビデオの最後に出てくる物乞いは面白いけど(テレビ番組の有名人らしい)、それは冗談? それとも80年代の現実?

YouTubeが面白いのは、こうして自分の知らない時代の音楽を聞けると同時にコメントが読めることです。古雑誌を探して記事を読むのとは違い、昔からのファンから今初めて聞いた人まで、いろいろな感想があります。「この曲はもっとヒットしてもよかった」「彼は過小評価されている」そういうコメントが目立ちます。(今の私の見立てではベスト10内に5週間? たぶんそれ以下だったのでしょう。)でも80年代には80年代のスターがチャートを賑わしていたはずです。彼らのヒット曲が今どう聞こえても、たとえ何も残っていなくても、ヒットはヒットで、力量や普遍性を計る物差しではないのですからしかたありませんよ。(画質が悪いので小さく埋めました。)


そしていきなり今日です。実はなんと動いているピーター・フランプトンを見たのは今日が初めてでした。私にとって懐メロの宝庫であるYouTubeでウォーカー・ブラザーズを鑑賞中、スコット・ウォーカーとピーター・フランプトンはお顔の骨の形が同じかしら、というふうに連想したからです。「the herd」で検索するとすぐ出ました。それから「peter frampton」を検索すると驚くべきものが……

え、え〜っ、これがピーター・フランプトン?! たぶん今は60才くらい……え、60才?(我が身を省て、ドキッ。)私は取り乱しましたよ。その動画の投稿は2008年。町のまんなかでおじさんが「Show Me The Way」を歌っています。確かにこの声を知っていますが……見物人は多くないし、あまり盛り上がっていないし。おじさんもときどきちょっとバツが悪そうに見えなくもない……とてもいい笑顔だけど……。でも何をやっているの? そこは何処? だいたいどうしてフォックス・ニュースが音楽ライブをやっているの?!?! 

どうやら2007年にグラミーを受賞したようです。本当なら1976年に「Frampton Comes Alive!」で受賞するべきだったところを(イーグルズの「Hotel California」に持っていかれて)、30年後の「Finger Print」というアルバムで順番が回ってきました。なにそれ。

翌2008年に再びグラミー賞の授賞式にゲストで参加した折、ニューヨークで街角ライブを行なった(やらされた)のでしょう。(「No」と言えないのかっ。)グラミー賞の会場ではローティーンの(と思われる)娘と一緒。そこでチャラいレポーターにいきなり「ハーイ、髪の毛のないピーター・フランプトンね」なんか言われて「そーだよ」ってさらりと答えるこの人は、えーっ、ほんとうにいい奴なんではないですかっっ?

最後はこのビデオ。

Peter Frampton: Invisible Man (2010)



何度か見ていると、この人はずーっとこんな感じで、ここにあの20代のお顔を貼付けてもおんなじなのじゃないかと思えてきます。後ろ姿の丸い背中はオヤジそのもの。でもこの人はきっと、おなかが出るような生活はしないかわりに、腹筋が割れるまでジムで鍛えることもしない普通の人なんでしょう。ずっと弾いてきたからギターが上手い。ずっと歌ってきたから声が若い。いろいろ苦労もあったけれど、屈託なく笑い、音楽を続けている。いい家族と仲間がいれば、それっていい人生じゃない? あー、なんか好きになっちゃうかも。

すごく上手いミュージシャン達と普通にセッション。あえて歌っている場面のないビデオの、ぜんぜんカッコつけないカッコよさ。(でも実は照明をかなり工夫していて色のきれいなビデオです。)大人だなあ。こういうのを私は「安心して聞ける音楽」と呼んでいます。高品質で安定していて、雰囲気がよくて気負いがなく、その奥には誇りが潜んでいるような音楽のことです。結果、心地よい。

そしたらYouTubeにこんなコメントがありました:Hey all you youngsters out there - this is how it is done. Great vocal, excellent musicians and a story to tell. No dancing, no lip syncing, no fluff....got it? (ここに来た若い連中に言うけど、これは見たまんまだ。すごいボーカル、素晴らしいミュージシャン、そして語るべき物語だけ。ダンスや口パクやミスはいらない。わかった?)「30才未満お断り」と書こうとしましたが、今の時代に音楽の何たるかを知るためには30才未満こそ見るべきかもしれません。

(文中「ビートポップス」と書いたのは60年代にあった土曜の午後のポップス番組です。NETテレビでしたっけ? 大橋巨泉、星加ルミ子、木崎義二の司会で視聴者の投票その他で作るベストテンをやるのですが、うち何曲かは当時珍しかったプロモーション・フィルムを流すのですから、ポップス・ファンにはものすごく楽しみな番組でした。)

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


……私は2008年の彼の容姿に、ファンでもないのに戸惑いました。(ファンじゃないからかもしれません。)だから1968年まで遡って、こんな文章をダラダラ書いているのです。ではどういう60才だったら驚かなかったかと考えると……何も思い浮かびません。(ミック・ジャガー? 堺正章? まさか。)でもライブを続けているのは、やっぱり嬉しいことでした。

公式サイトを見たら、今年は6月から半年がかりで「Frampton Comes Alive! 35周年ツアー」をやるそうです。そういう企画はな〜んかドンくさい感じがします。新しいアルバムをコンスタントに出しているのに、ファンが望むからやるんでしょう。70年代の音楽シーンのほうが好きだという若い人も多いようです。確かにいい時代だったし、お金になるし。でも60年代にロックした人がベンチャーズになっちゃっていいんですか?(今年だけですよね?)ファンが望むといっても、それを一生引きずるのは、あまり幸せには見えませんけど。この人、いつもそのへんの締めが甘いんじゃありませんかネ。

70年代はレコードとビデオの中にとどめましょうよ。だって彼は生きているんだもの。今振り返れば Frampton Comes Alive! は明るくて元気でやさしさがいっぱいのアルバムでした。それは若いフランプトンの笑顔そのもの。80年代には少々悪ぶったかもしれませんが、お行儀のよい気持ちよさがこの人特有の持ち味ではないかと思います。上のビデオだってそうです。私が求めるとしたら今の彼の、今でも明るくてやさしいオヤジの Comes Alive であって、歯切れの良い気持ちのいいやつを、ファンクでもポップでも新作でもカバーでも聞きたいものです。それがつまんなければそれまでのこと。でもそんなことはないでしょう?

だから昔の歌は歌わなくていいよ。髑髏のプリントなんか着ちゃだめだよ、悪い人達につけこまれるよ。

フランプトンの What A Wonderful World を聞きたいと、今ふと思いました。


おまけ

Humble Pie: For Your Love (1969)

ヤードバーズのヒット曲をアコギでカバー。パーカッションが途中ダレても許す。




Peter Frampton: Baby I Love Your Way (1976)

バラードでイントロを間違える、とってもキュートなピーター。



「But don't フルフル hesitate フルフルフル ....」って、もう犯罪的ですね。このビデオはこんなにボケてるのにiTuensで売っているのですよ。買っちゃおかなっ。

2011年5月20日

井口和基氏の公式ブログ

↑ 東北地震前の大気現象(311の前に急激に変化した日本上空)
井口和基ブログより転載 

物理学者でありながらオカルト、スピリチュアル、陰謀論にまで通暁した井口和基先生のブログが大好きです。

● Kazumoto Iguchi's blog

今日(5月20日付)の記事は、その題名が

「911はイスラエルがやった−全証明」:
全世界を戦争に巻き込むシオニズムを阻止できるか!?

私は「古き良きアメリカ人」、「昔のイギリス人」、「昔のユダヤ人」、「昔のジューイッシュマザー」、「昔の日本人」、「昔の朝鮮人」、「昔のモンゴル人」、「昔の中国人」などは大好きである。できれば、もう一度昔の時代に戻りたいものである。(ブログより引用)

私も同感です。どうしてこんな世界になってしまったのかと思います。かねてより私の実感として1980年代に日本人というものは滅び、自分は「最後の日本人」だと思っています。井口先生のお年は「30才」という説があるようですが、なんとなく私とほぼ同世代ではないでしょうか。

とまれこのページをご覧になった方は5月20日付のブログをご一読ください。新しい話ではありませんが、日本人が普通の基礎知識として知っておくべき「ユダヤ人」(偽ユダヤ人)についてです。こうした事実は事実であるにも拘らず、あまりにも軽んじられ無視されてきたと思います。そのために日本人の目はどれだけ曇ってしまったでしょう? 実は本日3本立です。続いては

世界中に広がる「謎の発光現象」!:ブルービームの前触れか?

311のいわゆる「余震」が続くなか、4月7日の地震速報で生中継していた仙台の町に謎の爆発が写ってしまった件、ずいぶん話題になりました。後で友人Hが教えてくれた公式見解とは「停電するとき発電所はああいう光を発するものだ」というものでしたが、それで皆さん納得してしまったんでしょうか。実はなんと世界中で同じような発光現象が起きているというお話です。さらに、

大地震の前兆現象が科学的に証明された!?:
やはりHAARPと原爆の仕業だったのか?

という地震予知に関するお話もあります。今日NASAが発表したデータによると、3月11日の前に日本上空が熱くなっていたというのです。上に転載した12枚の日本地図がそれです。(「In Deep」「地球の記憶」などのブログもご参照のこと。)文系の私が解説すべきことではありませんので省きますが、興味深いのは長らくHAARPのデータを精査しつつHAARPと地震の関係を考察している井口せんせいが、今回ついに

このことからも今回の宮城沖は、HAARPで起したというよりは、原水爆で地下爆発させた可能性が一番高いと言えるのである。例の音を録音した仕業(311M9の巨大地震の音:やはりアレか?)といい、人工大地震関係者(「ちきゅう」スタッフのような国際的なテロ組織)の仕業と言えるだろう。

と結論づけた点です。いや〜、今後の理論展開が楽しみです。あ、大変です、
今見たら4本立になってました!
えっ、5本立でした!


私も今日は3本立です。

To The Herbs の味噌味パスタ

友達のDと何故か大泉でランチすることになり、「ゆめりあ」内の To The Herbs に行きました。To The Herbs は西麻布の交差点の所もこのお店にも行ったことがあります。こざっぱりした内装で、スパゲッティの種類も多くて(今は近くにないので頻繁には行きませんが)好きなスパゲッティ屋さんの一つです。

今日は980円のランチセットにしました。数種類のスパゲティーとピザの中から一つを選び、スープ、サラダ、小さなパンが付いたセットで、100円足すと飲物もついてお得な感じ。私は「想像がつかない」という理由で、味噌味でバラ肉と小松菜という組み合わせのスパゲティにしました。

率直なところ珍味です。確かに味噌味なんですが、夏休みのお昼ご飯で朝の残りのお味噌汁を温め直して食べたときの味です。(たぶんグツグツ煮たんでしょう。)お味噌は牛乳系と相性がいいといわれていますから、お味噌の香りをいかしてもっとクリームを効かせたらどうかと思いました。(自分で作ってみようかと思いましたが、でもわざわざ作るこたないかな。)後半はトウガラシが効いてきて、お味噌汁の臭いはうすまった感じです。お店では人気のあるスパゲティだそうです。ううむ……。和風パスタが好きな人に受けているのかもしれません。

(ところで、大きく窓に面したとても明るい店内で、窓に沿ったテーブルの上にずらりとぶら下がった照明全部が点いていました。節電すべきは、こうした昼行灯だと思います。「電力不足」でなくてもです。こういう明らかな無駄がある一方で、石神井では節電の名の下に商店のウインドウも街灯も全部消してしまって駅前が真っ暗だっだり、よくわかりませんね。)

凮月堂のシュークリーム

To The Herbs の帰り道、ゆめりあ(大泉学園)の中でクリームの白いシュークリームを売っていました。凮月堂でした。近頃は黄色いクリームばかりですが、私は生クリームが好きなのです。今日のお土産に買うことにしました。

シュークリームにカスタードクリームが多いのは、作り手の都合のようですよ。生クリームは泡立てるだけ、でもカスタードクリームだと自分の味を作れるというお話を聞いたことがあります。そして自分のカスタードクリームに生クリームを混ぜた各店自慢のクリームが主流のようです。でもそういうクリームだらけになると、美味しい生クリームだけを使うほうが却って目立つかもしれないのに。

家に帰って箱を開けると、クリームは思ったより黄色味がかっていて、やはりカスタードクリームが混ざっていました。また、クリームの下には何故かスポンジが強いてありました。(上げ底?)美味しかったけれど、やはりたまにはコッテリと濃厚な風味の生クリームのシュークリームが食べたいなあと思いました。(自分で作れってことですかネ。)
1個210円

2011年5月19日

パイユドールとラ・フェデリース


溢れんばかり注いでくれたコーヒー。(犬のように飲みました。)
傾いたテーブル。
真夏のような西日の差すテーブル。

髪を切った帰りに久しぶりにラ・フェデリース(原宿のクレープ屋さん)に寄りました。1月以来です。

先日パイユドールから移転のお知らせを受け取り、どうしてだろう?、ラフェの二階にあるから素敵なのにと思いました。しかし、実はお隣のレストランが「事務所に使うから出て行って」という話で、なにしろそのレストランが大家さんだから仕方なかったようです。(なんて、書いちゃっていいのかな?)そのためにラフェも改装工事です。二階へ上がる階段を取り壊したり、他にもいろいろ変えるそうです。マサさんの腕とセンスでどう変わるのか楽しみです。でも、なんだか無常を感じてしまいます……。

というわけで6月15日頃から3週間ほどの間、お店を閉めるとのこと。(ちょうどその間に恒例のイベント、東急本店の「パリ祭」に出店するので、忙しいことにかわりないようですが。)なお、改装工事に入る前にお店の家具など即売する市を開くそうです。楽しみです。


この丸窓の中に「バラ色の帽子」の帽子屋さん、パイユドールがありました。今は移転して、徒歩3分の所だそうです。今日は忙しくて行けませんでしたが、ラフェが工事に入る前に一度ゆっくり行って、そのときにまた帽子や靴下をゆっくり見たいと思います。

2011年5月18日

日本手芸普及協会の支援


(写真は日本手芸普及協会のサイトから転載)

募金ではありませんが、私にとって今回の被災地支援でいちばん印象的だったのは日本手芸普及協会の呼びかけでした。被災した会員から「子供達の通学バッグが欲しい」という要望があったことから、みんなで布製のバッグを1000枚作って送ろう!ということになったのです。私は確か3月下旬にラジオで知りました。さっそくサイトを見ると、すべてが同じ仕様になるよう大きさや作り方が詳しく説明されており、作り手個人の余計な思い入れを排除する配慮もありました。私も材料だけは沢山あるので参加したかったのですが、本物の手芸愛好家のように上手に作れないとわかっているので諦めました……。

今ふたたび協会のサイトを見ました。集まったバッグは随時被災地に届けてきたそうですが、4月25日時点で累計5万9000枚(ええっっっ!?)が集まり、5万枚を配り終えたと報告しています。すごい、すごい、すごい! (ちょっと泣けます。今思えば配送など裏方部分へのカンパもできたのに、下手クソな手芸愛好家の一人としてまことに不覚でした。)

● 被災地の子供たちへ贈る「スクールバッグ」

同時に、学校へ持って行くカバンやランドセルを失なった子供がいったいどれだけいるのか、そもそも被災した子供がどれだけいるのか、忘れたくないと思いました。


2011年5月17日

「子どもの学び支援ポータルサイト」ほか

子供にばかりホロリとしている私ではないのですが、文部省がいいことをしているのでリンクを貼ります。(あ、「文科省」でしたっけ。)

文部科学省 東日本大震災・子どもの学び支援ポータルサイト

● 子どもの学び支援ポータルサイト HP

子供達の学校生活に関して、被災地からの要請と被災地への提案の集積場所です。被災した小中高の学校、図書館、教育委員会などが、具体的に何がいくつ必要かを書いています。無駄になるかもしれない一方的な寄付ではなく、必要な物を必要とする場所へ送ることを可能にし、被災地側も積極的な申し出の中から必要なものを選択できる仕組みです。現在必要な物資は下のページで見ることができます。

● 支援の要請情報データベース

「小型漁船1隻」「ノートパソコン168台」は無理だけれど、「石巻の中学校に柔道の畳24枚」とか、ハーイ!と手を挙げて送ってあげられたらなあ。でも他にもいろいろあり、こういうのを見ると「自分達にできること」がはっきり見えてきます。友達やご近所に声をかけてみたくなりました。


子供に限らずいろいろな分野でこうしたサイトがないか、ちょっと見てみました。するとそういうサイトをまとめたページがありました。「もの書き10000人プロジェクト」というサイトを運営している上ノ山明彦氏によるものです。二番目のリンク先でも支援に関する様々な情報を得られます。三番目は支援に取り組む官公庁やNGOの一覧です。

● 東日本大震災被災地支援 上ノ山明彦
● 東日本大震災被災地支援情報
● 東日本大震災 被災地支援関係サイト一覧 上ノ山明彦


私はものぐさ者でネットを見て回っただけですが、情報はいろいろな所にあるでしょう。私達が動けるのはむしろこれからです。自分の判断でインチキに気をつけながら自分にできることを探し、皆でがんばろう!

東北・関東・長野の大災害と募金

私は2008年にこのブログで一つの象徴としての(あるいは一番目立つ)どらえもん募金と、関連して日本赤十字社や日本ユニセフ協会について書きましたが、その後国内外の大きな災害のたびに沢山のアクセスがあります。今回もです。(なにしろ「どらえもん募金 ピンハネ」で検索すると、ここがトップなんです……。)こんな僻地の過疎ブログまで人々が来てくれるのですから、いったいどれだけの人が善意と不信の間で揺れているのかと思います。しかし大きな組織は人々のそういう気持ちをどうとらえているのでしょう。


(2008年に書いたものの宣伝)
● どらえもん募金......寄付はお買物?
● 募金......善意の花園
● 募金のいろいろ、やがてうんざり
● 共同募金の心得?


どらえもん募金が今回は電話じゃなくなりました。よほど評判が悪かったんでしょうか。今度こそ公式サイトで明朗会計を公開してくれるでしょうか。

それにしても、誰もが一番腹を立てたのは、多くの募金の行き先である日本赤十字社が2ヶ月たっても集まったお金を現地に届けなかったことでしょう。(今ネットで見たところ、日赤は5月13日に「義援金の第一次配分宮城県に1億円を送金」し(ここ)、そして宮城県が今日17日に震災孤児に50万円、死者行方不明者に15万円など金額が決めたようです。(ここ))まあ事情はあるのでしょうけど、1千億円を超えるお金を塩漬けにすればそれなりに利子も発生するはずですが、それをどう処理するかも含めて説明すべきではないでしょうか。着のみ着のままで避難した人達は、周囲でお店やコンビニが営業を再開しても手元に現金がないために何一つ買えないなんて酷い話です。その後配ったのでしょうか。(お金の配り方には何十年来の決まった方法があり、最終的には被災者一人一人に手渡すことになっている、と前に湯浅誠氏がテレビで話していましたが。)

(追記:5月18日)
日赤に集まったお金は日本赤十字社・義援金受付状況で公開されています。5月17日現在、 
221万5010件 1951億4843万7675円。
5月16日までに被災した各県の義援金配分委員会に 
707億6900万円を配ったそうです。
でも、
北海道35万円てなに?
山形県79万円てなに?
群馬県53万円てなに?
神奈川県140万円てなに?

日本ユニセフは災害直後から「余った支援金は海外に回す」とゴーゴしていましたが、余るわけなどなく、日本じたいがユニセフの支援対象国になっているのにその後どうしたでしょうね。ワカリマセンネ。

(追記;5月18日
日本ユニセフ協会に集まったお金は5月16日現在、
19億5085万6302円 だそうです。使い道は4月26日の計画がこちらに公開されています。こんどの震災の分は一般のユニセフ募金と分けて、公認会計士協会と協力して透明性を高めるそうです。あはは。

私は派手な共同募金が好きじゃないので、福島や岩手出身の人が実際に現地へ行くときに(心ばかりの)カンパをしました。たまたま近所のなじみのカフェ(通称「おさる」)で、同じくなじみのお客さんで実家が被災した人達がいて、彼らのために募金箱を出していたからです。また、友人の兄上が「犬のボランティア」をやっていて、阪神淡路のときに行ったし今度も東北へすぐに行く予定だというので、そのときカンパさせてもらうつもりでした。とにかく現場にできるだけ近い人に渡すのが最善と考えています。

そういう「現場に近い人」へのカンパは全国的な共同募金とかなり違って「本当に現地の被災者に届けてくれるのか」という心配がありません。私のお金は現地で役に立とうとする彼らのガソリン代やお弁当代になっていいわけですから。(それは被災者へお金を届ける事務をしてくれる日本赤十字社の自社ビルの空調を管理する会社への支払いの一部になってもいい、というのとかなり気分が違います。まあ、それはそれで必要な経費ですが。)

集金力のあるテレビや新聞が集めるお金、海外からの支援金、そうした大きなお金をとりまとめる日赤のような機関は必要です。そして大きなまとまったお金ならではの使い方もあるでしょう。だからそれはそれでいいんだと思います。しかし日本中の善男善女さん達に蔓延する「集めて日赤に送ればいい」という共通の意識はどうしたものでしょう。これはいわゆる「ピンハネ」や「ネコババ」の反対側にある一つの問題だと思います。

コンビニをはじめ多くの商店や飲食店でレジの傍らに募金箱を置いていますし、企業や地域や学校で集める場合もあり、たいていはまとめて日本赤十字に寄付するようです。善意は善意なんでしょうけど「日赤に送れば、後はやってくれるでショ」という感じで、ちょっと安易ではありませんか? 日赤には日赤のやりかたがあり、すべての角度から支援できるわけではありません。企業や有志が募金活動する場合は敢えて日赤やユニセフではなく、被災した県または市町村役場に送金したらどうかと思います。(とはいえ、多忙な被災地の役所で職員さんを入金処理で煩わせないためには、役所が信頼する現地の人物(組織)、あるいは現地と連絡を取りながらまとめて送金する立場の信頼できる誰か(組織)が必要でしょうが。)

(追記:5月18日)
前言撤回。震災直後〜4月に入ると被災した各自治体がちゃんとお金を受け入れる銀行口座を公開していました。下のブログに一覧が載っています。こういう情報はマスメディアに出ませんね。どこもかしこも日赤ばかり。これから寄付する人はこちらに送金しましょう。(でもねえ、「募金する」とはお金を集めることで、お金を出すことではありませんよ。「被災地に直接送金する」だと良かったのにネ。)

● 被災地に直接募金する、日本赤十字社以外の募金方法

しかし物理学者の井口和基先生はブログで「(災害直後は)被災していない自治体に寄付するのがよい」と言います。傾聴すべきことと思いました。(本題は記事の後ろのほうですが、この先生のお話はいつもとても興味深いので最初から読んだ方が面白いと思います。)

● 首都圏の人々、地方自治体へ送金せよ!:これが最良のクリティカル・パス! (2011年3月17日付)

今日は興味深い関連ブログを見ました。題が挑発的ですが、被災地への医師派遣のために医師会がとりまとめる募金を提案しています。いい案だと思いますが意外に批判もあるのですね。ちなみに私はクリック募金が好きじゃありませんが。(この記事へコメントしましたがerrorで送信できませんでした。無断のリンク、ご容赦ください。)

● 日赤に募金するな openブログ(2011年4月2日付)


最後にで余談です。よく「カンパ」といいますが、あらためて辞書を引いたら語源はロシア語の「カンパニア」とありました。そして「カンパニア」とは「政治的な目的で組織された大衆行動」。ロシア革命後の共産主義運動から広まった用語なのでしょう。「カンパ」は政治的・社会的な目的でお金を集めることとお金を出すことの両方だそうです。でも「カンパする」といえば普通お金を出すほうの意味でしょうね。


(追記:5月19日)
ところで、まだ「クリック募金」をやっているんですね。驚きです。よほど儲かるんでしょうか? あれは「募金」ではなく「広告」です。(「ここまで来てクリックしてくれたら1円寄付してやるよ」って、ふざけるなと言いたい。人の時間を詐取しないでください。企業の寄付行為は個人と同様に己の価値観と懐具合と多少のイメージ戦略に基いて主体的におこなうべきです。)クリックしている暇に自分の現金を(身銭を)送金しましょう。入れるお金が1円もないからせめてクリックで……という人は間違っています。寄付は寄付するお金のある人がするものです。お金があっても独自の考えのある人やケチな人は寄付しません。お金がない人がどうして寄付しなきゃいけないんです? 後ろめたさを感じる必要はないんです。こんな大災害なのに何もできないのが辛い......と思うなら、その辛さを噛みしめましょう。噛みしめながら、お金以外で自分に出来ることを探しましょう。大災害以外のことも考えましょう。クリックでごまかしてはいけません。

2011年5月15日

古Mac 対 新PC

先日みつけた面白い動画です。




M「できた。」

M「何かすることないかな!」
P「オレもMacだったらなァ......」
M「たぶんアンタがリサイクルに出された後にね。」
P「ナンダト。」
M「起動が終わってから喋りなよ。」

M「クラッシュした?」
P「ローディング中、ローディング中、ローディング中……」

P「ホイ、できた。」
M「世界新記録だネ。」

1992年2月に最初のMacを買いました。Macintosh ciII という機種でありました。(FXという最上機種の次のやつです。)ハードディスクを200メガに増設してフルカラーのビデオボード(5枚ほど連写できるビデオキャプチャー)を付けて130万円でした。友達からはカラーディスプレイというだけで羨ましがられたものですが、家族にはその値段を絶対に言えませんでした。そう頻繁に買い替えられる身の上ではないため現在6台目で、MacBook Proを使っています。ノート型は4台目ですが、だいたい2年前後で壊れます。ひどいものです。

このビデオに出てくるのは1984年のMacとありますが、この形は90年代にもありました。私は法律事務所に勤めていて、そこは書類製造工場みたいに猛烈にワープロを使う所でしたが、アメリカ留学から帰った弁護士が一人だけMacを持ち込み、それがこれと同じ形のもので、興味を持った私にしばらく貸してくれたのでした。その頃の私はアニメや音楽を作ることに憧れており、何もわからないまま買うならアタリかなと思っていたところ、実際に使ってMacを買うことにしたのです。(しかし高いハードを買ってしまったため、ページメーカー、フォトショップ、イラストレーター、エクセルその他の主要ソフトはかき集めたものの、結局10万以上〜150万円くらいする音楽やアニメのソフトは買うことができませんでした、とさ!)

もちろん昔のMacのほうが好きです。ウシイヌ(イヌウシ)とかイミグレとか、そういう時代にはMacを使う楽しさがありました。コンピュータの中身なんかわからない素人の使い手にとっても、「当時の限られた性能で最大限面白かった」というより「無駄なく完成されていたんだなァ」と感じます。こんにちのMacの性能はもの凄く進歩して当然その恩恵に浴していますが、使い勝手としてはファインダーひとつをとっても見た目の装飾が過剰でうっとうしいのです。アイコンはいらないし、ゴミ箱だってただの灰色のバケツでいいし。システム6までの時代のあの単純な「見た目」(スキン)を選択できたらいいのになァと思います。(と言いつつプレビュー機能は便利ですけど。)ついでに別売りのソフトでもいいから、古いソフトを使える機能があったらなあと。ソフトのバージョンアップについていくのはお金がかかるだけでなく、携帯電話みたいに使い切れない機能がいっぱい加わったり、使い方が変わったり、利用者にとって必ずしも便利に変わると限らないからです。たとえばどのMacにおまけで付いてくるGarageBandという音楽制作ソフトでは、私はインテルになる前のGarageBand2が一番好きです。(現在はGarageBand11、バーション6。)

まあ何につけ、生まれて最初に見たものを一生お母さんだと思い込むヒヨコみたいな所のある私の意見ですけど。

2011年5月14日

「地球温暖化説」のおさらい

9日に書いたことの続きです。「地球温暖化説」を今でも本気で信じている人がいるんでしょうか? 2008年にここに書いた後でMac でもGoogle Videoで見られるようになった番組があるので載せます。何年か前に(なぜかwindowsでしか閲覧できない)ミランカというサイトで公開していたものです。


博士も知らないニッポンのウラ 39 地球温暖化CO2犯人説のウソ 丸山茂徳 (74分)




イギリスのチャンネル4(テレビ局)が2007年3月に放送したドキュメンタリー番組で、おそらくこの問題におけるネット上でもっとも有名な動画です。たいていは数本に分かれていますが、日本語字幕付きで一度に全編を見れる動画がありました。


地球温暖化詐欺 The Global Warming Swindle (76分)




この番組には「事実を歪めている」という反論も多かったそうですが、温暖化防止の名の下に何でも許されるような、批判が難しかった時代に一石を投じたと思います。(詳しくはウィキペディアの関連ページで。)

いずれにせよ、石油はいずれ枯渇することになっており、3月11日の大災害で原子力発電は価値を失ないました。今後は地産地消の小規模な自然エネルギーという路線が好まれそうです。たくさんの電力を必要とする工場やプラントでは、会社ごとの自家発電が可能になればそれを選ぶでしょう。そういうのは妥当な進路だと思います。しかしそれは二酸化炭素排出削減のためではなく、石油獲得のための戦争や、原子力発電のための巨額な費用と限りない危険を回避するため、と考えるほうが妥当かもしれません。

上の番組ではいずれも「地球温暖化説」は政治の問題なのだと結論づけられています。つまり科学に基く反論は不可能だと。しかしこんにちの、とくに先進国の政治とはグローバル企業にのっとられたような形をしているのですから(民主主義というより企業主義)、しょせんはグローバル企業のお金儲けを代弁する政治の問題、という色合いを否定できないでしょう。二酸化炭素削減に寄与しないのに巨額のお金だけは動く「排出権取引」がまかり通ることが、この問題のいかがわしさを物語っていないます。

国際政治としての「地球温暖化説」をくつがえすには「NO 」と言える政治力しかないんでしょうか。そんな力が世界のどこにあります? この問題で日本が国際舞台でどれだけ不利でどれだけ肩身の狭い思いをしているかを考えると、まったく嫌になります。それだけでなく、「地球温暖化」(global warming)とともに同じような意味で用いられる「人為的気候変動」(man made climate change)という言葉からは、むしろ「気象兵器」が気になる今日この頃なのです。

2011年5月11日

「TPP」のおさらい

中野剛志 この人早くどうにかしないとマジでヤバイ (2:59)




9日付で書いた「原発・勇気ある撤退......今後の課題」に関連して、日本人が将来の日本のために反対しなければいけないことの一つ、TPPについて書きます。政府が関係国との協議を開始する旨の閣議決定を行なったのが昨年(H22年)11月9日で、その頃は賛否両論でにぎわいましたが、3月の大地震以来あまり話題にのぼらなくなりました。しかし準備は着々と進んでいるという噂もあります。


さて、それではTPPとは何でしょう



中野剛志先生のよくわかるTPP解説―日本はTPPで輸出を拡大できっこない! (12:34)



上の番組の完全版です。画質も音質もよいのでできればこちらを。
● 怪談TPP 西部邁ゼミナール 2010年12月18日放送 (26:04)


『TPPで日本をぶっ潰せ!!』 ~ 10分で理解できるTPPの問題点 ~ (9:16)



ここでは「大企業が栄えて国が滅ぶ」と訴えています。アメリカ政府はアメリカの「グローバル企業」の利益を代弁して日本にTPPを強要するのですから当然です。(儲かるのはアメリカの「グローバル企業」で、アメリカという国家と市民がべつだん豊かになるわけではなく、むしろ格差がさらに広がるかもしれません。)


こういう動画が苦手で最後まで見ていられない人は
↓ こちらをどうぞ ↓


こういうテレビ番組がありました。テレビでここまで言えたとは驚きです。パチパチパチ。(放送日不明。どこの局でしょう? 東京ではなさそうですが。あ、もしかして(右翼といわれる)「チャンネル桜」?)

池上彰がテレビで語れなかったTPPの問題点 1/3 (10:28)



● つづき 2/3 
● つづき 3/3

日本が参加しなければ意味がないから、「乗り遅れてはいけない」というのは間違い、との指摘。去年はこればっかり言われていました。事を急いではいけないと、あの高市早苗センセイもおっしゃいます。


もう少し詳しく知るにはじっくり聞いてください。
(問答無用。知らなければいけないことです。)


降って沸いた「TPP」の謎?! 10/11/06 
民主党・福島伸享(のぶゆき)衆院議員のお話 (27:45)




TPPアメリカの真の狙いは!? 10/11/13
自民党・小野寺五典(いつのり)衆院議員のお話 (27:45) 




よその国に、よくここまで言えますねっ。


これだけの協定について正確な内容を誰も知らないって、一体どういうことですか。どうやら政府の一部と外務省の一部が乗り気なだけで、民主党でも自民党でも真剣に反対している人達がいます。当然です。頑張ってほしいと思います。

面倒くさくても日本はこれまでどおりFTAで、貿易相手国と一対一の相談をして決めていけばよいのです。お役人はそのためにいるのではありませんか?


TPPによってアメリカが日本から得るものは、かつての帝国主義が他国を侵略し戦争に勝利した暁に得た経済的利益と同じじゃありませんか。それなら日本がアメリカから得るものは事実上の植民地支配です。その意味では、誰もそんな言い方をしませんが、たとえ戦争をしてでも一億一心で抵抗し回避しなければならない問題ですよ。こんなものをそこらの総理大臣がホイホイ調印しては困ります。元に戻すには本当に戦争しなきゃならならず(そのとき戦費が捻出できればの話ですが)、かつてアジアで、アフリカで、中東で植民地となった地域(国々)のように100年かかるか200年かかるかわかりません。ですから、万が一アメリカ政府が本当のクルクルパーで本気でこの自由貿易が日米の国と民を幸せにするのだと信じていたとしても、日本政府は日本の行く末をフツーに考えた上でお断りしなければいけないのです。

しかし存亡の危機に瀕したアメリカは、まさに窮鼠猫を噛む的に本当に攻めてくるかもしれず(それが「311」ではないかと思えなくもなく)、本物のドンパチになってもおかしくありません。なにしろ戦争は景気を盛り上げますから、もしかしたら彼らの一番望むところです。日本が戦争だけは避けたい……ということでTPPに参加するとしたら、国民のとるべき手段はただ一つ、「無抵抗不服従、ガンジーに学べ」でしょう。アメリカからやってきた数多のグローバル企業に誰一人就職しない、アメリカから来たゼネコンに一つの自治体も落札させない、アメリカからやってきた金融機関に誰一人お金を預けない、アメリカからやってきた保険に誰一人加入しない、アメリカからやってきた食糧、食品、飼料、種苗を誰一人買わない、アメリカからやってきた製品、資材を誰一人買わない、アメリカからやってきたサービスを誰一人利用しない、TPP国から来た医師、看護婦、介助者を誰一人雇わない、TPP国から来た安い労働者を誰一人雇わない……等々。自由競争であるかぎり、消費者である日本人一人一人に選択の自由があるのですから。そして自由競争に負けた名だたるグローバル企業には経済原理に基く自由な経営判断のもと撤退していただくのです。まあ、夢のお話ですが。

そもそもアメリカが提案する「自由貿易」の「自由」とは常に「強者(アメリカ)の自由」です。だって世界一の経済大国がどこの国と対等だというんです? 対等でない関係の中で双方が自由だなんてありえません。世界のどれだけの国がこれで国が滅びるほどの苦渋を味あわされてきたでしょう。

ところで話は変わりますが、テレビや新聞は連日マグニチュード8の「余震」が来ると予言を繰り返しています。通りすがりの新聞スタンドでこの見出しを最初に見たときには「怖い!」と思いました。(私は地震が大嫌いなのです。)しかし先週やっと気がつきました。311(3月11日の大地震とそれに続く津波、原発事故、余震など)は911から学ばなければいけないのではないかと。

911という、2001年のいわゆる「米国同時多発テロ」でアメリカ国民は過剰とも思えるほど怯えてしまい、「テロを防げるなら」とアフガニスタン侵攻を認め、愛国法など自分の首を絞める法律を認め、イラク戦争まで認めてしまいました。アメリカ人は「テロが来るぞ、テロが来るぞ」と政府とメディアから脅され続けていたからです。そのうち白けてきても、ブッシュ大統領が窮地に立ったり人気が落ちたりするたびに何故かビン・ラディンがビデオを送ってくれますから、警戒レベルを上げては大統領支持率を持ち直すというのを繰り返して、勝手なことをしてきたわけです。(そのビン・ラディンも公式に死にましたが。)

311では、日本国民は政府とメディアに「放射能」と「余震」で脅されているのではありませんか? メディアが人々の怖がることばかり報道する裡で、ほとんど話題にのぼらない事柄が、たとえばTPPの準備が着々と進んでいる、ということは多いにありえます。新興宗教ネタや芸能人ネタでもちきりのとき、ひょっこり国民が望まなかったはずの法案が国会で可決したことだけ報じられるということはこれまでよくあったからです。(どこの国でもやることですが。)

地震の前に菅総理はTPPの参加について「6月までに答えを出す」と言っていました。これは対外的な発言ですから、日本が災害で大変だといっても別の話で、答えを出すと言ったなら出さなきゃなりません。それなのに現在まったく話題にのぼらないのは恐ろしいことだと思います。

……と書いていたら、政府は災害を理由にTPP参加の判断を先送りしたそうです。しかしやめたと言わない限りやめたわけではありません。延期した間に諦めてもらわなければ。


60年安保など日本中で学生運動が高まった挙げ句の連合赤軍事件以来、一般市民が政治に関わることが危険視されてきたと思います。また政治に少しでも口を出したらどこかに名前が記録されるのではないか、公安に筒抜けではないかと心配かもしれません。でもそれはあやしい組織に関わった場合でしょう。(Googleなど筒抜けだそうですからログアウトしておきましょうか。)頭を切り替えなければいけない時です。言っておきますが、民主主義とは我々一般市民が政治に参加しなきゃいけない仕組みなのです。嫌なことは声を出して嫌だと言わなければ、別の声をあげた人達が持っていってしまいます。(そうするうちに本当に怖くて政治に関われない国になってしまいます。ほんとなんですよ。アメリカを見てくださいよ。)

私だって臆病者ですが、要は「ここに意思を持った一人の人間がいるのだ」という態度が大事で、あまり怖くなくて誰でも一人でもできることはあります。例えばYouTubeにコメントすることから始めればいいでしょう? さらにこうやって話してくれる人達や議員さんに、また番組に「おかげでよくわかった、反対を続けてください」とメールすればいいし、相手によっては「あなたの……は支持しないが、この件では頑張ってほしい」という書き方でもいいと思います。議員さんだって、正しいと信じることをやっているときに手応えを感じたら頑張ってくれるでしょう。今はまだ民主主義国家です。日本がこれ以上おかしくなる前に、私達こそ少しずつ変わることが大事ではありませんかネ。


これを書くために関連の動画を探しにYouTubeへ行くと沢山ありました。その殆どは批判で、推進派のものは誰かの発言を報じるニュースが少しあるだけでした。YahooやGoogleで記事を探しても同じで、賛成意見を述べるブログはほとんど見つかりませんでした。しかしネットの外の現実では政府と(声の大きい)経済界が乗り気なのですから安心できないのです。ぜひ一人一人の勇気と力で反対へもっていきましょう。後の世代に「なぜ止めなかったのか」と問われないためにも。

2011年5月10日

革紐のポシェット



まあそういうわけで久しぶりに何か欲しくなって町へ出たが最後、止まらないのでした。

このポシェットはイギリスのデザインでポルトガル製だそうです。小さく細長くててマチもなく、まるで実用的じゃありません。何しろ手が入らないのですから。(指4本は入りますが、底まで届きません。ペンや携帯電話なら入ります。)だからアクセサリーとして面白いと思いました。それに、このポシェットを持ってお店のいろいろな福や靴に重ねてましたが、意外と何にでも合うのです。その前に買った「カモフラのパンツ」にも合いそうでした。

このフサフサがどうなっているかというと、規則的に並んだ穴から革ひもが1本ずつ出てできています。昔「カール人形」といったお人形の髪の毛みたいな感じです。裏地は生成色の麻です。



小さいのに凝った作りで、手を抜いていないところが大人っぽい感じです。真夏のTシャツやアジア系の生地の衣類にも、秋冬のセーターにも良さそうです。店員さんは、実用的な大きさのバッグの取っ手にしばりつけてバッグの飾りにするのもいいと教えてくれました。焦げ茶色の色違いもありましたが、私にはこちらのラクダ色(キャメル色ともいう)のほうが全然似合うと思いました。
(5月9日、恵比寿アトレ)

はじめてのカモフラ



3月11日の大地震以来、自粛するつもりはなくてもお買物の気分になれず、それどころか怖くて怖くて家から出るのも嫌でした。2ヶ月ほどしてようやくカラオケに行ったし、次は町のお店を見てみたくなって恵比寿のアトレに行きました。

何が欲しいというわけでもなく、エスカレーターを上った所のふだんあまり入りらないお店にフラリと入ると、意外にも年齢を選ばない素敵なものが並んでいました。まず大降りの素敵なショルダーバッグを手に取りましたが、すごーく高いのでやめました。次に目に入ったのがなんとが迷彩色(カモフラージュを略して「カモフラ」ともいう)のパンツでした。細身のずぼんは欲しかったのですが、50過ぎて迷彩色はないダロと思いますよ。こういうのをカッコ良く着こなす人がいるのを知っていますが、自分が着たいと思ったことはありませんよ。でも何故かカッコよく見えて試着したところ、シルエットが良くてカッコ良かったのです。裾が長いままではくのも好きですし。

同じ迷彩色でも、これは全体に沈んだ色合いだからいいのかもしれません。伸縮性の生地でぴったりして動きやすく、カーゴパンツ式に太もものポケットがかえって足の線を隠してすっきり見えるのでした。腰のポッケはジッパーが付いているし、ポケットの裏地もプリントだったり、細部までいい作りです。ジーンズに比べると上に着るものを選びますが、夏はどうせTシャツですからね。(でも冬でもはけそうです。)お店の人は断ちっぱなしの大きな襟ぐりのTシャツ(灰色で英語の文字など書いてあるやつ)などとの組み合わせをすすめてくれました。ナルホド雰囲気が出ます。(私は英語の文字が書いてあるものは着ないことにしてますが。)

値段はとても高くて、ふだん買うものの3〜4倍ですが買いました。しかし、これにドンピシャのスニーカーが欲しくなりそうで困ります。
(5月9日、恵比寿アトレ)

しかし……今カモフラに目がいってしまったのには、やはり大災害の心理的影響があるかもしれません。私には難しい意味での自衛隊というものがよくわからなくて、考えはずっと保留でした。でも災害時にはいつも凄いなあ偉いなあと思いました。こんども東北で被災した人達が「自衛隊の迷彩服を見てほっとした」と言うのを聞いたとき、その感じがとてもよくわかる気がしました。(以来その言葉はあちこちで引用され、ちょっと都合良く引用されるときもあり、なんだか都市伝説ならぬ被災地伝説みたいになりつつありますが。)そんなことから迷彩色に対する印象が少し変わったのかもしれません。

2011年5月9日

「原発・勇気ある撤退」……これからの課題

チェルノブイリ原発事故後に作られた番組のようです。地方のテレビ局が放送したのでしょうか? 実は題名があまりよくありません。「勇気ある撤退(をするべきだ!)」というのが本当です。

内容は現在もそのまま通用します。導入部のコントがかなりイケテます。こんどの福島原発事故で有名になった京大の小出先生(お若い!)が登場します。しかし今振り返ってみれば、どんなに説得力のある努力がなされても、一部の人が原発のために敷いたレールは誰にも動かせなかったのだ、という話でもあります。


牛乳が飲みたい_原発・勇気ある撤退



2つめ(すべてYouTubeのマークをクリックするとYouTubeのサイトで見ることができます。TouTubeで見れば大きい画面で動画に対するコメントも読めます。)



3つめ




これを見て思い出したことがあります。40年くらい前には、私より少々上の世代が親や祖父母の世代に対して「なぜ戦争を止めなかったのか?」という詰問にも似た問いかけをよくしたものです。「だっていつの間にかそうなっていた……」「だってそんなことを口にしたら大変だった……」というのが大方の答えであったと記憶します。今いわゆる若い世代が上の世代に向けて「なぜ原発を止めなかったのか?」と問うたら、たいていの場所で「だっていつの間にかそうなっていた……」、原発を誘致した地域では「だってそんなことを口にしたら大変だった……」と言うのかもしれません。

意地悪を言えば、戦前の世代に「なぜ戦争を止めなかったのか」と問うた人達自身が原発を止められなかったということです。

しかし原発は40年にわたる問題ですから、私の世代にも責任があります。先の問いに私が正直に答えるなら「私は嫌だった、原発に賛成したことは一度もなかった、でもどうすればいいかわからなかった」なのです。80年代に六ヶ所村に再処理施設が作られるというドキュメンタリー映画のビラを手にしましたが、その映画は見たか見なかったかさえ思い出せません。チェルノブイリの事故では広瀬隆の「危険な話」を読んで震え上がりましたが。そして忙しく働いているうちにいつのまにか何十個も出来ていて、ここ数年は東電のテレビコマーシャルを苦々しく見ていただけです。

けっきょく人間は懲りないものってことですか? でももう今度限りにしましょうよ。ほんとに。

原発がこういうことになってしまったのは、ひとえに「お金になる」からです。作るにも壊すにも巨額のお金が必要ですが、確実に儲かる仕組みができています。反対する人は丸腰で「ひとたび事故が起こったら取り返しがつかない」と反対し、別の立場からは「敵対国から原発にミサイルを撃ちこまれたらおしまいだ」と反対してきました。しかし政府の「絶対安全です」という議論にならない主張で維持されました。一般の人々も、ついこないだまで「原発に反対する人はテレビも冷蔵庫も使うな」という極論をよく口にしたのですよ。(私はテレビも冷蔵庫も洗濯機もエアコンもない10アンペアの生活で何の不自由もありませんでしたが。)そういう中で、世界の最先端を行っていた日本の太陽光発電の技術は、原子力発電から利益を得る人達の反対にあって政府からの援助が止められるなり、数年で他国に水をあけられてしまいました。

今では多くの人が後悔しています。それは大きな力となって良い方へ向かうでしょうか?

だからといって反原発デモに行けばいいとか節電すればいいのでもない気がします。そういうのは共同募金にチャリンと入れて終わりにするような一過性のものに見えます。しないよりはいいのかもしれませんが、どうなんでしょう? はるかに大事なのは今後の人生に向けての、いわゆる「ライフスタイル」全般の軌道修正だと思います。私は30年前40年前みたいな暮らしなので今の人達の暮らし方をよく知らなくて、どう修正するべきかをお示しできませんが。ただ、便利な暮らしもほどほどに、と言いたいと思います。

そして同時に、事は「戦争」とか「原発」とか単発の問題ではないのですよね。強欲な人達が群がるような巨額のお金の動くことにはろくなものがないようです。それは全部同じような経過と結果を招き、犠牲を払うのは常に一般の人々です。まるで一つの法則です。その意味では、手を替え品を替え今は何が進行しているのか、これから何が起こるのか、それも知らなきゃいけません。私達一人一人が無頓着にならず、ちゃんと目を向けて、正しい選択をしなきゃいけないのです、そうしないとまた次の世代に「どうして止めなかったのか」と問われる悔いを残すことになります。

かつての「戦争」こんにちの「原発」と同じ末路を暗示するものは現在も進行しているはずです。政府というものは政権が変わっても国民の本質的な自由を奪う法律が好きらしく油断なりませんが、今大きなお金が動いていることといえば、まず「地球温暖化防止」「CO2/二酸化炭素削減」の問題でしょう。TPPはいわば戦争なき敗戦です。そういう所では常に「原発は絶対安全です」という以上の大きな嘘がまかりとおります。信じられないような嘘は誰も疑わないからです。

でもいつの時代にも賢者は必ずいて、我が身も顧みず警鐘を鳴らしてくれるのです。だから私達凡人は、せめてそれを聞きつける耳を持ち、その人を守り、自分達を守らなければいけません。「戦争」や「原発」を繰り返さないためには、早く気づいて数で勝負することで私達自身を守る以外にないのです。ほんとなんですよ、もう。

ビデオニュース・ドットコム、4月の「5金」



ビデオニュース・ドットコムは有料のインターネット放送ですが、第5金曜日の番組は無料で公開しています。4月は30日が「5金」で、今回はかなり豪華な4時間以上の番組全部を登録しなくても見ることができますので、おすすめします。(私が見たのが本日だったため、お知らせが遅くなりましたが。)
数年前に比べれば勢いが堕ちて来たかナァという気がするときもあるビデオニュース・ドットコムでありますが、今でも頼りにしている情報源の一つです。

5金スペシャル
「原子力のこれまでとこれからを問う」
ゲスト
(PART1):小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)
(PART2):河野太郎氏(衆院議員)、武田徹氏(ジャーナリスト)
(PART3):細野豪志氏(衆院議員、福島原発事故対策統合本部事務局長)

● ビデオニュース・ドットコム ここをクリック。


(もしかしたらMacでは動画が見えないかもしれません。サイトのリンク先からMac用のWindows MediaPlayerをダウンロードするか、ネット検索して Safari 3.2.1(古いバージョン、英語版のみ)と Flip4Mac WMV をダウンロードしたりします。Perianも必要だったかもしれません。そうやってSafari上でQuickTimeを使って動画が見れるようになると動画の保存もできます。)


ところで、世の中の話題はどうしても福島原発、原子力、被害者への保障......そうした方を向きがちですが、地震のことも語ってほしいと思います。どこかで、テレビに原発や原子力の専門家がたくさん出るのに、311とその後の地震について解説する地震の専門家は全然出ない、という話をききましたが。いわれてみればその通りです。変な感じです。

2011年5月7日

アンパンマンのマーチ

さきほど見つけたのですが、3月15日にはこんな動画が公開されていたんですね。



コメントによると、やなせたかしは「戦死した弟さんのための歌詞だと聞いたことがあります。そして、 戦後のお貧しい生活の中で食べることがどれだけ大事か痛感したた めに、【アンパンマン】を書かれたそうです」。

(追記:5月9日)
最後に出てくるおじさんはニュースで見ました。津波で孤立した家から救出されたんですよね。おじさんがあの表情で「また再建しましょう」と言ったとき、おじさんが前にも災害か戦争から再建したことを察し、それは幾多の災害や戦争のたびに立ち直った日本と重なって、誰もが心から「そうだよ!」と思ったことでしょう。被災者に日本の希望を感じるなんてとても変なのに、私はそう感じました。このビデオを見て泣ける箇所は人それぞれで、私は子供達につらい気持ちになるけれど、泣けるのはこのおじさんです。お元気でいらしたらと思います。


(追記:5月9日)
YouTubeは一つのビデオが終わると自動的に関連ビデオが出るのですが、ここでは関連があると思えない「いかに日本人が嫌われているかよくわかる動画」というものが勝手に出てしまいます。ろくでもない動画ですから無視してください。(といっても、もう見ちゃったかもしれませんが……。)

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