お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2007年7月18日

近頃、お肉の話


北海道発の「食肉偽装」発覚から1ヶ月。ずっと書きたかったのですが書くのが難しいのと、写真がなかなか撮れなくて投稿が遅れました。(コロッケを揚げるのにいい七輪があったのに、何処へいったか‥‥‥‥)その間にマスコミの意見は出そろった感じですが、あらためて思うところを書いておきたく思います。

その前に。このブログの「リンク欄」にも入れている「ビデオニュース・ドットコム」ではこの「食肉偽装」の問題を、表示のしかたの視点から2時間以上にわたって語っています。ぜひご覧ください。(3ヶ月間公開。全部を見るのは有料ですが、すごく濃い内容です。)

(1)虚偽表示のコロッケがすぐに回収されたこと

結果的にはそうするべきだったのかもしれませんが、牛肉100%という表示が嘘だったというニュースとスーパーが品物を片付けている映像を同時に見て、少し驚きました。牛肉だけでなく「豚肉が混じっていた」というのですから、嘘は嘘でも毒や異物が混入したわけでもあるまいに、ユダヤ教徒でもあるまいに、どうして回収・廃棄なのかと。牛肉+豚肉のコロッケとして、破格の大安売りをすればいいのに、と。ニュース番組ではどこかの奥さんから使いかけの現物を手に入れて、「もう食べないからいらないと言っています」と見せていたのには、その奥さんもどうなのかな、と。とても奇異に感じました。お客がそういう人ばかりなら安売りしても売れないからお店側も回収するのが「信頼性の維持」なのか、と。ずいぶんふざけた、勿体のない話だ、と。

しかしその後の展開を見れば回収は正しかったんでしょう。ということは、ひとたびバレたらそれ以上のことも全部バレる、ということを売る側の責任者はわかっていたのかもしれませんよ。だから大急ぎで回収・廃棄したのではないかと思えてくるのです。

(2)加工肉食品はもともとあやしい

普通のスーパーで売っている普通のハム、ソーセージ、チャーシューなどはどれも変な味じゃありませんか。においも変です。自分で塊のお肉を買って作るチャーシューとはまったく別物で、同じお肉の味ではありません。絶対変な物が入っていると思います。豚の角煮のような調理したものは、タレの味も変です。家庭で単純な調味料で作るのとは違う、複雑な味というのか‥‥‥‥。デパ地下の少し値段の高いハムはずっとおいしくてお肉の味がします。それでも添加物がイッパイだから加工肉はいっさい食べないという自然食の信奉者もいるといいます。何枚も重ねてサンドイッチに挟むような薄切りのハムは「水ブタ」といって、お肉に水をたくさん混ぜるから薄く切れるのだというような話をきいたのは30年くらい前の永六輔の講演だったと記憶します。思えば疑いの目を持つようになったのはその頃からかもしれません。それでも、わかっていても、私だって昔は普通に買いましたし、今もたまには買います。それは、まともに作った美味しいものばかり買うお金がないから、しょうがないから買うのです。

私なんか昔の人間ですが、すでに化学調味料ドップリの世代です。しかしまだかろうじて食べもの一般について昔の味を覚えていたり、親が作ってくれたり自分で作った味を知っているからどちらが本物かわかるし、そこから類推することもできるのだと思います。私より若い人達、今の子育て世代、さらに子供達など、最初から工場で作った食べ物(インスタントや出来合いのお惣菜)やファストフードをあたり前にして育った人達には本物と偽物を分ける基準となる味覚があるのか、よけいな心配をしてしまいます。基準のない人達が疑問を持たずにスーパーの加工肉(だけではありませんが)を買うのかもしれないと思うと‥‥‥‥食の悪循環は続くわけで、悲しいような嫌な気持ちになります。

(3)「鳴き声以外ぜんぶ」食べ尽くすこと

この事件では他にも興味ある偽装がありました。豚肉に血と心臓を混ぜて見た目も味も牛の挽肉のようになったもので何かを作ってどうのこうの。その社長はカネ儲けのためにやったから悪者ですが、まぜること自体はすごいアイデアだと思いました。その知恵を堂々と「家畜を食べ尽くす方法」として表舞台で使ってほしかったと思います。(もっともそれをよい代用食だと思う感覚が大衆にあればの話ですが。)(しかし言われるまで誰も気づかなかったのですからね!)

ニュースを聞いて血や心臓という単語に衝撃を受けた人は多いと思いますが、本来肉食とは血も内臓も、食べられる物は全部食べるもので、それぞれに調理法が確立されているものです。(食べられない部分は衣、住、あるいは道具などに使いました。)また、昨今では健康長寿色の立場から野菜など葉も実も茎も根も「全部を食べる」ことを提唱する人達がいて、なるほどと思います。しかし、そもそも食べることとは「自分の生存のために他者のいのちを頂戴すること」です。植物でも動物でも、いのちを頂戴するからには収穫し屠殺したすべてを食べ尽くし使い尽くすのが礼儀というものだと思います。肉食の伝統のある土地では、どこでも古来そのようにやってきました。日本で一般化したのは明治以来で、一部を除けば肉食の伝統がなかったので「食べ尽くし使い尽くす」土着の文化はなく、外国文化の上澄みのようなもので、調理法もほとんど正肉に限られてしまいました。(これだけイタリア料理が広まっても、トロリとした骨髄を味わうオッシブーキなど人気がなさそうです。)

(その意味でも狂牛病は根深いのです。「脳や骨髄など危険部位を食べなければ大丈夫」というのが公式見解のようですが、仮にそうだとしても、そうやって食べ残すのは食肉の道理に反します。すべてを食べ尽くすことを前提に安全なものを供給するのが筋で、これでは本末転倒です。)

もっともキドニーパイ(肝臓のパイ)が有名なイギリスでも、内臓専門の料理店などはやはりゲテモノ系なのか、ちょっとマイナーな感じのようです。食生活が豊かになり贅沢になれば、誰でも正肉、上肉を食べたがるものでしょうけど‥‥‥ しかしお肉を食べるなら、肉食にまつわるその他の面倒も引き受けなければいけないと思います。個人もなるべく、できる範囲で。

もう何年も前に見たテレビ番組で、どこかの生協だったかもしれませんが、鶏ガラを無駄に捨てることに我慢できず、一般消費者に鶏ガラを使ってもらおうと苦心している人を取材したものを見たことがあります。もも肉2本、手羽2本、胸肉を食べたら鶏ガラが一つ出ることを忘れてはいけないと思います。

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