お買物のはなし・新旧おりまぜスローにやります

2007年12月24日

《Cables, Diamonds, Herringbone》


Cables, diamonds, herringbone
Sabine domnick 著、Down East 刊

12月15日発売の新刊が、予定より少々遅れて今日届きました。奥付を見ると、2004年にドイツで出た本の英語版だそうです。書名の「縄、ダイヤ、ヘリングボーン」とは模様編みの名称で、イギリスの伝統的なセーターの一つ「ガンジー」を編むのに欠かせない模様です。日本ではフェアアイル、アランほど一般的じゃありませんが、「イギリスの伝統的なセーター」といえばその二つに「ガンジー」を加えた3つだろうと思います。

というわけで、この本はフィッシャーマン・セーター、中でもガンジーという種類のセーターを詳しく解説したものです。フィッシャーマンは文字通りイギリスの漁師さんが着ていたことに因みますが、性別年齢にかかわらず着られます。それどころか、大人の男や老人が着ればお洒落だし、女の人が着れば個性的だし、子供が着たら、もうカッコよすぎて許せないくらいです。ただし本物のフィッシャーマンには伝統的な編み方があり、ちょっと頭の切り替えが必要なほど独特です。しかしその作り方に従ってこそ本物、カッコよさの決め手なのです(と私は思います)。

私が十年ちょっと前に編物にはまったきっかけこそ「イギリスの伝統的な編物」でしたから、この種の本は何冊か持っており、編み方もひと通り理解したつもりです。(編むのは下手ですが。)でも好きだとやっぱり新しい本が出るたびに欲しくなります。それに、伝統的な編物では編み方は一つではなく、人によって微妙に異なるもので、そのあたりを見てみたい気持ちもあります。

この本は本格派のガンジーを編むための実用書です。編む過程を大きい写真で解説していて、説明の丁寧さで Beth Brown-Reinsel の「Knitting Guanseys」と並んでわかりやすいかもしれません。英文をあまり理解できなくても、メリヤス編みのセーターを編んだことがあれば、写真やイラストを見ながら編めるかも。パターン集もあります。本物のガンジーを覚えれば、おそろしく凝った本物のアラン編みのセーターも嘘のように楽に作れるのだと知ることでありましょう。作り方のついた作品がいくつもあります。2、3着編んで自信がついたら、Alice Starmore の「Fishermen's Sweaters」も夢じゃないでしょう。ほんとです。

2007年12月23日

電子チケット、体験と教訓



忌野清志郎の復活コンサートがあると知ったとき、行かねば!と思いました。一緒に行きたかった友達のMちゃんにメールを打つと、まるで乗り気じゃなくて、「チケットが取れないと思います」とのつれない返事。(たしかに久しぶりに再会したとき、もうあまり聞かないのだと言ってました。)しかし「チケットぴあ」というものを検索して「先行予約」(なにこれ?)というのが受付中でしたから、まだ大丈夫のはずだと主張しました。コンサートの前売り券なんてプレイガイドのカウンタで座席表を見ながら買う時代しか知らず、ネットで買うのは初めてで戸惑いましたが、ともかく試しました。Mちゃんが行かないならヤフオクに出すさと居直って2枚。

まずはぴあに会員登録をしなきゃいけません。それから目的のコンサートの先行予約を申し込むと、締切の日時の後に、枠より多ければ抽選を経てネット上で結果ががわかるというものです。予約できたチケット料金は自動的に引き落としになり、手に入れた人はいくつかの方法で実際のチケットを発券してもらう又はチケットに代わるものをダウンロードして、それを持ってコンサート会場へ行くという段取りです。(そういえば、前に行ったロンドンのライブハウスの予約がそんな感じでした。無数のコンサートがパソコン上で選べて、料金がカード決済で、自分の画面をプリントして持って行きましたっけ。)

たしか11月20日頃が締切で、私の画面を開くと丸印がついていたので、たぶんチケットが取れたのだと理解しました。そのことをMちゃんに告げると、日程上の都合はついたから行けるだろうとのこと。一安心して照会のコード番号などをメモして、そのうちコンビニかチケットぴあのカウンタで現物のチケットを出してもらおうと思いました。なにしろコンサートは来年2月。急いでチケットを手にして紛失したら困る‥‥‥‥なんて思ったのですが。

そして1ヶ月後の今日(21日)チケットぴあに行きました。出てきたチケットは武道館の2階。おっ、2階席ね。しかし時代は変わっていたのです。次の瞬間カウンタのおねえさんが「座席を確認しますか」と昔よく見た八角形の図を広げて指さした所、それはかつて「4階席」と呼んでいた場所でした。「え、え〜〜〜っ!?」と心で叫びました。それを察してか、おねえさんは「チケットが手に入っただけよかったですよ、完売ですから」と慰めてくれました。

経験があるんです、武道館の4階席。四半世紀の昔、キース・ジャレットのソロでした。何月か忘れましたが頃は真冬で、壁に近いような4階席の後ろのほうは空席も多く、少し前の席に移動しましたが、寒いのなんの、外にいるのと同じです。終わってから気づくと、手袋をしていたのに小指が紫色になっていました。「うわーん、凍傷だ。でも、たとえ小指がもげても今日のコンサートは良かったぞ〜」と強がってはみましたが、帰宅するなりお風呂場にぬるま湯とお湯の桶を並べ、交互にひたしならが長い時間をかけて両手を温めたのを思い出しました。

そしていろいろ考えました。たぶん今のコンピュータ式は昔とは違うのです。たぶん「丸印」が出た時点では権利だけで、座席は決まってなかったのだ‥‥‥‥そこにまったく考えが及びませんでした。だから、たぶん「丸印」を見てすぐに発券すればもっといい席だったろう、たぶん自動的にいい席から発券していくのだろう‥‥‥‥せめて一般予約開始前に発券していたら‥‥‥‥しかもこのコンサートは全席一律料金で‥‥‥‥トホホ。もっとも、本心をいえば、私はいいんです。このコンサートは私にとって一つの儀式みたいなもので、その意味では行ければいいんです。しかし、一緒に行ってもらうMちゃんは清志郎の古いお友達です。なんで高いお金(8千円)を払って最後列で(寒いだろうなあ)こごえながら聞かなきゃいけないの??? ああなんてことでしょう。

Mちゃんからの返事のメールはまだない‥‥‥‥

2007年12月21日

番外・サントリーホールの「P席」


「いつでもお誘い歓迎」状態で再びいいことがありました。なぜかいろいろな招待券が手に入る日本美術研究のPさんから2日後のサントリーホールでの「第九」の切符があるとのこと。出演は読売日響、指揮・下野竜也、合唱・新国立劇場合唱団、ソリストが林正子、坂本朱、中鉢聡、宮本益光。私はいろいろな音楽を聞き、クラッシックも好きですが、壮大な交響楽というものは概して苦手です。しかし、ベートーベンの「交響曲第9番、合唱付き」といえば、私、昔、アマチュア合唱団で歌ったことがありますよ。今でもシラーの詩、あやしげに歌えますよ。久しぶりにそんなことを思い出し、ぜひ聞きに行きたいとお返事しました。

20日の夕刻、ホール前で会うなりPさんは悪い席しか取れなかったと言いました。彼女が持っていたのはチケットの引換券で、今日はホールに来るのが遅れていい席が残ってなかったそうです。「オーケストラの後ろ側なの。あとは一番前の席。前のほうがよければ交換してもらう」と済まなそうでしたが、私は後ろ側は初めてで、却って面白いんじゃないかと言いました。

サントリーホールのステージの後ろ側一帯が「P席」です。パイプオルガンの下です。私達の席はその一番前の左よりでした。いつもと違う眺めがこんなに面白いなんて。ステージは自分の真下にあり、なぜか小さく見え、オーボエやコントラバスなど、置いてある楽器からとても近いのが素敵です。ただしすぐ左前方のティンパニに、Pさんは「大きい音は苦手〜」と心配気です。「第九」ならではの合唱隊が立つ台は更に近くにあり(実際に歌手達が並ぶと、身を乗り出せば髪の毛をつかめそうでした)、普通の正面の席は、遥か彼方に小さく見えます。向こうからはこちらがどう見えるのかしらむ、あんな席でお気の毒と思うならスットコドッコイですよ!

やがて演奏が始まりました。静まり返ったホールで、オーケストラの中央から最初の小さな音が生まれるなり、なんて響きがいいのかと思いました。ホールのせい? 位置関係では、まるで真冬の冷たい朝の三宝寺池のほとりに立って、水面にあがる湯気を見るようです。つまりオーケストラが池の中にいるような感じです。普通のコンサートホールの客席では、音が前方からやってきますが、P席では、目の前で音が湧き上がります。それが天井の、段々にふくらんだ丸みいっぱいに響き、その音を浴びているように感じるのです。そんな中で迎える最終楽章は圧巻でした。P席では歌手の顔が見えませんが、指揮者の表情をつぶさに追えるほうが興味深いと思います。一方、確かにティンパニは大きな音でした。しかしもともと思いきり目立つパートですからね。問題はトライアングルで。小さく聞こえるべきものでも真後ろではかなりのもので、耳が‥‥‥‥。また、席が左寄りだと音はどうしても右寄りになります。しかし全体を通して、こんなにゴージャスな音楽は初めてでした。こんど機会があったら、ぜひP席最前列中央を体験したいものです。

さて、演奏者の「読売日響」ですが。(「読響」と「日フィル」のM&Aかと思いましたら、「読売日本交響楽団」で1962年設立だそうです。無知です。)私はろくに聞きもせず日本のオーケストラをなめていました。日本人の交響楽にはどこか「譜面どおり」という印象があり、正しく演奏しているけれど、楽器の音が演奏者の肉体まで共鳴していないような物足りなさや限界、そんな偏見を持っていたのです。しかしこの日の演奏にはそんな所がまったくなく、溢れるような豊かで繊細な音楽を響かせました。そりゃそうかもしれません。私が知り得る数十年の間には世代交代もあり、かつてよりずっと深くヨーロッパの音楽や文化に関われる環境が整った時代の演奏家達なのだろうと思ってみたり。それはたぶん歌手も同じで、とくにソプラノは濃厚で艶があり、いい声でしたし、合唱も人数から想像できないほど迫力がありました。もちろん意地悪を言うなら、「第九」は日本の十八番だからかもしれません。毎年暮れには連日演奏するのですから、そんな曲は他にないし、誰もがどの曲よりも精通しているかもしれません。しかし、とまれ、私は大いに演奏を楽しみ、ベートーベンなんか好きじゃないけど、いずれにせよ、やはり、「第九」は名曲だと思いました。(12月20日)

パン屋の PAUL

かつてはアークヒルズの森ビルに職場があり、六本木の駅を下りて毎日通った道ですが、今では別の町のように何もかも初めてでした。サントリーホールからの帰り道、アークヒルズを出てすぐに地下鉄南北線の六本木一丁目駅ができ、泉ガーデンという巨大なビルの中にありました。途中までPさんと一緒に帰ろうと下りていくと、駅の手前でガラス越しに何やら明かりを点す食べ物屋が見えました。Pさんは「ポール」だと言いました。近年上陸したフランスのパン屋さんで、支店を増やしているところだそうです。ちょっと寄り道しました。

夜遅かったので品物は少なかったのですが、どれも本物っぽいパンの色をしていました。通りすがりなど、初めてのお店で買うのはカンパーニュとかブールという丸パンです。一番割安で、粉の良さが一番よくわかるからです。(バケットも同じですが、バケットは私にとって堅い所が多すぎるんです。)このお店にはそういうのがないので、同じ種で作ったに違いないナマコ型のパンと、イチジクと胡桃入りのライ麦パンを、それぞれ1/2サイズで買いました。

このお店にはビールやワインとともに軽く食事するような場所があり、フランスの田舎風がちょっと間延びした感じですが、ガラス越しにお庭があるような造りがいい感じでありました。

帰宅後、お夜食がわりに食べてみると、間違いなくうまい! いい粉の香ばしい香りがして、食べた後にはかすかに酸味が残ります。たまたま醗酵バターが買ってありましたから開けましたよ。こういう本格フランス式パンを食べるときには醗酵バターでうまさが増します。一方イチジクと胡桃のライ麦パンといえば十余年前には私のお得意レパートリーでしたから、食べ比べでございますね。ポールのパンは、回りの堅い皮が厚すぎますよ。フランス人は歯が丈夫なんですね。でもやはり本物の美味しいパンです。これにはハチミツが合います。できれば焼きたてにハチミツかハチミツバターをたっぷりつけて食べたいと思いました。(12月20日)

2007年12月7日

ニットの帽子

12月2日、落語会十周年記念のパーティーを中座して、Mちゃんととあるファミレスへ行きました。そこへMちゃんの娘のJちゃんが来てくれるというからです。初めてのご対面です。現役の高校生です。ワクワク・ドキドキでしたが、果たして気持ちのいいお嬢さんで、おかげで楽しい時間を過ごしました。そしてMちゃんと私は、私達が毎日一緒に過ごしたのが今のJちゃんの年だったのねえ、と感慨にふけりました。

ところでその晩、JちゃんはiPodに大きなポンチョ姿で現れました。黒い太い糸のニットで、いかにも若々しく似合っていました。しかし、しかしですね、Mちゃんが黒ばかり着るから、親子で黒なの?!思ってしまったのですよ。人様の趣味に対してなんと僭越な‥‥‥‥。しかしすぐに「黒ほどアクセントが生きる色もないぞ」と気がつきました。黒いポンチョのMちゃんがカラフルなニット帽をかぶったらカワイイだろうな! だから勝手にかぶせることに決めました。



翌日には毛糸を買いに行きました。太い糸でカラフルな編込みにしようと、パピーの《スペクトルモデル》を何色が選びました。帰宅するとさっそく編み始めました。これはアナトリア地方(トルコのアジア側)の伝統的な模様で、模様と模様の間がおのずと模様になってしまう面白いパターンです。ポンポンはわざと帽子に使った色を避けて、手持ちの中細でボタン色というかマゼンダというか、別の色にしてみました。2日で出来ました。セーターに比べ、帽子とはあっという間に完成するのでした!



それでMちゃんの分も作りたくなり、すぐに取りかかりました。先日三ッ葉屋さんで手に入れたイタリアのFilatura di Crossaの《Mrizioso》です。黒に鮮やかな色が何色もからんだスラブ調です。お店にあったサンプル作品の帽子を思い出しながら、似せてみました。ただし、ポンポンは同じ毛糸ではなく、色うつりのいい橙色で小さめに作りました。

(このように色のきれいな凝った糸は、帽子など小物にしたほうがアクセントになりきれいに見えるかもしれません。もしセーターなら、大きすぎて糸の個性が見えにくくなったり、却って地味に見えたりしそうです。)

果たして親子は気に入ってくれるでしょうか? とまれ、いろいろな糸を少しずつ使ったので糸がたくさん余ったし、太い糸の帽子はテキトーに編んでたちまち出来てしまうのが面白くて、もっと編みたくなりました。以前の残り糸も出して並べてみると楽しくなります。どうにも頭が固くてなかなかデザインが思い浮かびませんが、必要のためよりも「作品制作」の気分でいくつも作ってみようと思います。

2007年11月23日

(雑談)その後の話

11日に動かなくなった左手はその後少しずつ回復しています。お医者(整形外科)の診断では「サタデーナイト・シンドローム」のようなものではないか、就寝中にトウコツ神経を痛めたのではないかと。(艶っぽい設定がない場合でも、熟睡すると寝返りを打たないために寝相によっては体の一部に負担がかかり続けて痛めることがあるそうです。)それなら1ヶ月ほどかかるというわけで、様子見が続いています。今は指が固まらないようにグーパー運動をしています。ゆっくりですが少しの時間なら編物もできますし、キーボードもトロトロ打てるようになりましたから、そろそろ(なまけ癖がつく前に)ブログも再開しなきゃいけないと思います。

最初はどうしたのかと思い、病院へ行くまでにはこのまま動かないこと悪化することを含めていろいろ考えました。片手だけで絵は描けても編物だけは無理‥‥‥‥手編み機にすればいっか。しかし幸い利き手ではなかったしパニックもなく過ごしました。私は小さい頃から病気や怪我がわりと好きなのかもしれません。いつもと違う特別な感じ、日常の不便さを工夫すること、そういうのを面白いと感じるふしがあるようです。

身の程も知ったし、もとより好き勝手に暮らして「いつ死んでも悔いは無い」と思っていました。しかしこの年になればいつ何が起こっても不思議ではありません。本当に悔いないように、何か機能を失なっても突然倒れてそれきりでも対応できるように、日頃から部屋や持ち物を整理整頓しておくとか、できるときにできることを存分にやっておくことが大事だと再認識しました。とまれこの間も展覧会を見たり有用無用のお買物をしたり昔の上司が逮捕されたり、いろいろありましたから順次書いていこうと思います。

さて、ブログを見てくれた友達の中には私のお買物なぞより右上の youtube がいいと言う人もありまして、ご期待にこたえるべく今回は元米国陸軍少将のジョン・バティストにしました。ウエストポイント出の3代続いた職業軍人で「スリースタージェネラル」(陸軍ナンバー2)の昇進を蹴って退任した人物です。目下日本の国会で最重要課題とされている案件について当のアメリカでは公の場で何が議論されているか、というお話であります。また「ビデオニュース・ドットコム」のマル激トークオンディマンド先週号(第346回)も必見ですよ、山田くん。なんちゃって。

2007年11月12日

お誕生日の出来事

11月11日は私のお誕生日です。だからって特別なことは何もありませんが。お誕生日は祝ってよし、平常どおりもまたよし、です。

いつものとおりの怠惰な眠りから覚めると、左腕に少々痺れがありました。寝相が悪くて変な重みがかかったのだろうと思いました。しかしその違和感はなかなかとれず、ふと気づくと左の手にも痺れがあり、手首から下が動きません。手のひらを上に向けると指は曲がりますし、軽く握ることができますが、下に向けると手首はダラリと垂れて、まったく力が入りません。どう頑張っても動かないのです。肘は自由に動きますから肘と手首の間の筋がおかしいのか、糸の切れた操り人形です。脳性麻痺か脳溢血の後遺症みたいな感じです。何の発作も怪我もないのに、こんなことってあるんでしょうかね。この状態は夜になっても変わりません。明日は月曜日ですから、病院へ行こうと思います。

(そういえば昔、岡田史子の心酔者で「死んでしまった手首」が好きでした。)今日のおかずは常備菜と、昨日白菜スープを作りだめしたし、夜に鶏肉をにんにく+ヨーグルトに漬けておいたので焼くだけで済んでたすかりました。左手が動かないととても不便です。右手で包丁を握り菜っ葉を切るにも、左手がままならないと思う巾に切れないとは驚きました。そんなときにも左手は自動的に力加減をして右手と共同作業をしていたのですね。ご飯茶碗も(指の支えもなく)手のひらにのせて食べると変な感じです。先々週と先週の2回、毛糸をたくさん買い込み、いろいろ作り始めて浮かれ気分の毎日でしたが、今日は編棒も握れません。(もっと大事なことをしろとの思召しでしょうか。)ビデオニュース・ドットコムを見て、ちょっと飽きてきた「禁断のゲーム」をしただけの1日でありました。

2007年11月9日

これは何?

毛糸玉を転がしながら編んでいるうり、こんなものが出てきました。毛糸にはゴミがくっついていることがあります。羊にくっついていたもので、たいていは草の枯れたみたいなのの小さいものが糸の撚りにからまった感じです。毛糸は羊の毛を刈ってから毛糸になるまでに絵梳いたり伸ばしたりかなり手荒く扱われるそうですから、ゴミが残るのはよほどのことで、たいていは小さいのです。また概して輸入糸に多く、国産ではまず見たことがありませんでした。なのにコレハナンジャ?! 私の親指と比べてくださいよ。草のようであり、虫の目がついてるようでもあり、刻んだ藁のように大きくて、こんなのは始めてです。(気にしませんけどね。)ちなみに、ニッケ・リファインというとっても素敵なツイード糸です。


(訂正!)
糸の名前を間違えました。Varallo(ヴァラッロ・販売元・パピージャルダン)というイタリア製の糸でした。たいへん申し訳ありませんでした。

2007年11月8日

カエルの小物入れ


かつてこういう小物入れはリモージュ製でたいへん高価でしたが、その普及版(庶民版)も今はおそらく中国製なんでしょうね、800円くらいなのですから驚きです。カエルの夫婦がシーソー遊びしているの図です。夫婦じゃなくて初々しい恋人かもしれませんが、太ってまるい背中が恰幅のいい老婦人みたいなところがいいと思うのです。色がきれいですし、わりと凝っていて、容器の側面の蓮の葉や岸の草などかわいいもんです。ぴっちの手帳と同じくブルブルで買いました。(高さ 6.5 cm)

Simply irresistible!



来年の手帳は、100円ショップで見つけたものに自分でいい表紙を付けて使おうと決めていたのに、恵比寿のブルブルでこれを見てしまい、手に入れずにはいられませんでした。(735円もするのにですよ。)

「Pitschi」とあるのはまさしく「ぴっち」。私が小学校に上がって最初に借りた学級文庫の絵本「こねこのぴっち」(岩波書店)の「ぴっち」じゃありませんか。この絵本は大好きで、似顔絵を描きたいのに、何度やっても上手く描けなくてじれったかったのを覚えています。高校時代に本屋さんで見つけたときは「まだ売っているんだ!」と感激して購入し、勿論今でも持っています。今見てもとても素敵な絵です。(私って何て趣味のよい子供だったんでしょ。)

2007年11月2日

フェアアイルの帽子



フェアアイルは下手ですが、久々に編みました。有名なサラ・ドンの本の表紙のセーターからモチーフをとりました。(一昨年初めてeBayで落札した本です。)ゴム編みは2号針の平編みで後ではぐとして、模様編みはゲージの都合と手元にあった3号の輪針が60センチだったことから、頭回り60センチにしました(標準は53センチくらい)。ブカブカしますが、かぶり方しだいですからね。簡単にやりたかったのでトップは絞る形にして、絞った所を隠す意味でポンポンを付けました。大きいと子供かワカモノっぽいから小さめです。折り返した黒の2目ゴム編み部分は伸びやすいので、すぐにゆるくなるでしょうから、巾の合うゴムを入れたほうがいいかもしれません。

ダイヤ、ニッケ、ハマナカの普通の純毛の中細毛糸を使いました。

2007年11月1日

(雑談)今日から11月


天気予報どおりの曇天で、午後には雨が降り出しました。でも11月は私のお誕生月。なんとなく特別な気分です。
10月はとっても忙しく過ごしました。人に会ったり、展覧会を見たり、音楽を聞いたり、珍しく外出が続きました。お買い物もいっぱいしました。しかるに外に出ればすぐ草臥れるヘタレで、ブログが追いつきません。追々書くつもりですが。実は8月頃から少しずつたまっています。知らん顔して過去にさかのぼって書き足すかもしれませんから、たまに見てみてくださいね。

2007年10月31日

パブリック・サキソフォン




西荻(西荻窪)の「Terra」というライブスポットへパブリック・サキソフォンのライブを聞きに行きました。パブリック・サキソフォンは四人囃子(よにんばやし)の森園さん(ギター)岡井さん(ドラム)の二人と、大西さん(ベース)、石井さん(キーボード)からなるバンドです。初めて行ったのは今年1月で、高校の上級生でミュージシャンのらいおんめりいとOさんと一緒でした。今日は二回目。小さなお店のリラックスした雰囲気の中、すっごい腕の人達が好きな曲だけやっているところに「大人の世界」を感じます。一曲目は(私が大好きだった)Traffic の「Feeling All Right」、一つとんで、私にとっては Blues Project でおなじみの「Walking Blues」、という具合でスタンダードが主です。子供にはちょっと無理かもね、なんちゃって。

岡井さんと森園さんは高校の2年先輩です。当時すでに音楽活動を始めていて、いつも素敵だなあと眺めていたものです、というか、憧れでありました。(岡井さんのお姿を見かけた日には生徒手帳の日記欄にマル印を付け‥‥‥‥木曜日が多かったっけ‥‥‥‥とか。)とはいえ四人囃子のコンサートはごく初期に一度行ったきりで、日本のロックの黄金期を知らないのですから、ファンの資格はありませんね。その点、今日一緒に行った高校の友達のMちゃんと彼女の短大時代のお友達のNさんはあの時代の音楽シーンのインサイダーで、生き証人みたいな人で、岡井さんとも親しい交流がありました。だから彼女達、20年ぶりのご対面とあって、ライブ後は楽しいご歓談とあいなりました。私もご相伴にあずかったというわけです。

実は私達の高校時代とは群ようこさんの小説「都立桃耳高校」です。(とくに上巻では、私もMちゃんと一緒に台詞のないその他大勢のエキストラとして周辺をウロウロしているはずなのです。)そこでは「岡井さん」は主人公の憧れであり、漢文の「本多先生」と並んで何故か本名で登場する2人のうちの一人です。前から興味があったので岡井さんにそのことをきいてみると、「変な感じ」で、「名前だけ使われているような感じ」で、自分のことには思えなかったそうです。へえ〜、そういうもんなんですか。また、当時の岡井さんの家はMちゃんの家の近所でした。ビックリまっ黄色のオシャレな建物だったのですが、とっくに建て直したし、今は別の人が住んでいるそうで、時の流れを感じました。

特記事項は、岡井さんが「50を過ぎて諏訪太鼓を始めた」ということです。ドラムをやってきたから有利かと思ったら勝手がまったく違った等々。他にも和太鼓を始めたミュージシャン(複数)がいて、近々(12月か1月)皆でお師匠さんと和太鼓のライブをやるそうです。私としては少なからず楽しみです。日程は四人囃子のオフィシャルサイトに出ますから、ときどきチェックを入れなければと思います。(10月30日)

四人囃子のオフィシャル・サイト

2007年10月29日

驚きの封筒


大手町にある逓信総合博物館の展覧会の入場券は郵便局によく置いてありますが、こんどもそこでもらってきたのか記憶は定かじゃありません。たぶん「絵封筒S」という展覧会の名前から、先日Iが話してくれた「おじいさんの封筒」を連想して、興味を感じたのだと思います。28日の日曜日は、本当はMくんの町田のアトリエへ行く予定でしたが、予定を遅れてしまったし、封筒の展覧会が最終日でしたので、そちらを先に行くことにしました。

この展覧会は1回目ではないようです。定型大の封筒に自由に色をつけたり物を貼付けたりして、楽しく美しくいろどったもので、内外のプロの手によるものと公募したものが何百点も展示されていました。(規制がないようでしたので写真に撮りました。あとでまた入れ替えます。)



日本も自由になったものだと思います。私が若かった頃の郵便局ではこういう郵便物を嫌いましたよ。宛先を書くべき位置や面積が決まっていて、赤一色の封筒など色ものにもいい顔しませんでした。ハタチ頃にIに教わってフォロンが友達に出した手紙を画集にしたものを見たとき、フランスってこんなことが可能なの?!と驚いたものです。とはいえ、アート尊重もほどほどにしないと、現実には配達員さん泣かせでしょうけど。

ここでは毎年年賀状の公募展をやっていますが、封筒がこうなんですから年賀状は推して知るべしでしょう。やっぱり一度は世の達人達の作品を見ておくべきかもしれません。また、たいへん広いスペースを持つ施設でした。2階はNHKの常設展示があり、地味ですがまた来てじっくり見たいような展示もありました。1階では切手になった明治の錦絵の原画が並び、もっと時間がほしくなります。元はお役所だった名残なのか、学校やグループの見学者向けにお弁当を広げられるような無料の場所もありました。いまどき感心です。

その休憩所の手前には面白い売店があって、ふつうの土産物の他に切手収集に必要なもの、マニアが好むものが揃っています。「入荷しました!」との貼紙のボール箱は古い葉書や封筒の山。どこの家にもあるような昔の郵便物(ただしお爺さん、ひい爺さんの代のもの)です。何にするんでしょうね? 買い逃したり再び欲しくなった記念切手を買うのは東京中央郵便局だと思っていましたが、ここでも、かなり古い時代のものまで額面の値段で売っていました。私は30円均一の箱の中から「東京オリンピック記念」と「長谷川等伯」を買いました。それと、切手の絵葉書の箱に「ゴジラ」があったので買いました。前日行った中学の同期会で聞いた「ゴジラのグループ」の話(まったく内輪の話です)に因むものです。また、こんな本がちょっと欲しくなりました。全国1万数千の郵便局それぞれが持つスタンプの印影を全部集めたものです。(10月28日)



逓信総合博物館のホームページ

丸の内、丸ビル、その他


大手町の帰り、方向も定まらぬまま歩いていると東京駅に出ました。ということは、ここに丸の内ビルヂングがあったのね、と見上げると、信じられないような、実になさけない気持ちになりました。なにこれ? 

前にここを通ったのは十余年前で、取り壊した直後なのか地下を作っていたのか、囲いの向こうにクレーンの腕だけが見えました。そのときもがっかりしたものです。80年代半ばに私が働いていたのはかなり無機質な隣の新丸ビルでしたが、丸ビルは本当に素敵だったのですよ。耐震偽装などありえない時代の石造りで、とくに1階の商店街など大きな十字の通路に沿って1区画ごとに木のドアとガラスのウインドウがあって、限られた空間をお店ごとにアレンジして、落ち着き、貫禄、風格といったものがありました。果物屋さんとパーラーは千疋屋、文房具屋さんははいばら、和菓子屋さんは清月堂‥‥‥‥名店ぞろいで、今は青山にある老舗の毛糸屋さんの三ッ葉屋も2階にありました。他にも花屋さん、陶磁器屋さん‥‥‥‥ありとあらゆるもの。外からも入れる明治屋やポールスター。ヨーロッパの昔の商店のようで本当に本当に素敵でした。トイレのドアのノブだって真鍮とガラスですよ。上の階のオフィスも木のドアで、その上にガラス窓があって、そこに部屋番号が書いてありました。50年代のアメリカ映画の探偵事務所みたいでね。木製のファイルケースや黒のダイヤル式電話機が一番似合う場所でした。

とはいえ、じっさいに毎日お仕事している居住者にはオフィスの区画も手狭になったかもしれません。OA化が進み、インテリジェントビルの時代になり、霞ヶ関ビルだって90年頃には大規模なリニューアルを行ないました。しかし合理性一本やりではなく、銀座の奥野ビルのように古い良いものの価値を知る人達に受け継がれていけばよかったのに。などと思いつつ案内板に目をやれば‥‥‥‥これってホテルじゃありませんか! ふざけてますよ、こんなの。商店街のテナントもたぶん全部がチェーン店や支店で、いったい何処にこのビルの個性があるんでしょうね? こんな所が「新名所」として大々的に宣伝されて、ここを目的に奥様方が大挙して押し寄せるのですか。‥‥‥‥嘆かわしいことです。と思いつつ、地下で安いコーヒーをすすりました。(10月28日)

ちょうど今、テレビで東京中央郵便局の建物を高層ビルにするか保存するかの話をやっています。東京駅の駅舎は保存がきまっているそうですが、中央郵便局は見かけも派手ではないし賛否両論です。私は昔のものが好きで近頃のビルにはウンザリなので、残したいというより今風にしないでほしいのですよ。こんなに愚かで下品でカネカネカネの今の「有力者」達の思うままに都市も国家も破壊してほしくない。東京駅を真ん中に、右に中央郵便局、左に丸ビルというかつての眺めを100年先にも見たかったと惜しむばかりです‥‥‥‥(10月31日)

2007年10月28日

クイーン・アリスのハロウィーン菓子



私の生活にクリスマスとかヴァレンタインとかハロウィーンとか関係ないんです。積極的無視です。また、リュード・セーヌさん(広尾のフランス雑貨屋さん)によれば、ハロウィーンを大掛かりにやるのはアメリカと日本くらいじゃないか、フランスではやらない、ハロウィーンの翌日にお墓参りみたいなことをする、そちらのほうが一般的、だそうです。

さて、ある日おかずでも買おうかと西武の地下に入るといきなり小さいガラスのケースが置いてあって、それは洋菓子店それぞれが出しているハロウィーンのお菓子のショウケースだったのですね。不覚にもその中を見てしまい、クイーン・アリスのプリンの器が一番カワイイ!と思ってしまい、「クイーン・アリス、クイーン・アリス‥‥‥‥」と地下をウロウロ探しまわってしまい、そして買ってしまったのです。4種類あるうちの、カボチャとドラキュラを一つずつ。ついでにシュークリームも一つ買いました。生クリームにこくがあって、おいしいお菓子でした。売っている間にいくつか買い足したい衝動にかられましたが、それだけはガマンしました。いやー、やっぱりカワイイ。(10月28日)

(早く食べたくて、写真が手抜きになりました。反省。)

2007年10月19日

「縫い」のTシャツ


青山のジェムアートで、やはり「縫いプロジェクト」のTシャツも買うことにしました。彼らの描いた絵(へたうま調)を身頃いっぱいにプリントしたものですが、自由奔放なアップリケなど、一つ一つにプラスアルファの面白さがある長袖のシャツです。前に見たとき、断ちっぱなしの緑色の布(たぶん洋裁の裏地)の「アップリケ」のついた白いシャツがいいと思ったのですが、果たして残っていましたから。食べこぼしなど粗相をしないよう気をつけて着たいと思います。

また、「しょうぶ園」での制作風景を紹介するDVDも購入しました。彼らの仕事はほんとにすごいから、その様子に興味があるのと同時に、誰かわかってくれる人に教えてあげるときには有効な媒体だと思うからです。(10月17日)

2007年10月18日

紅谷のミニどら


紀伊国屋のデリに行く手前で和菓子屋さんを覗きました。青山通り沿いの「紅谷」です。初めて入る小さなお店ですが、いかにも年代物の大きな看板を掲げていますから、ムラムラ期待がわきます。ケースを見回して、まず目を引いたのが「ミニどら」でした。ミニサイズのどら焼きというわけで、小さい形と焼き印がとってもかわいいのです。

帰宅したのは夜ですが、まず一番にお茶を入れておやつにしました。「ミニ」と言うものの、小さいのは皮の大きさで、中のあんこの量は普通サイズのどら焼きと同じくらいあります。(皮・あんこ・皮の比率がシベリヤケーキのよう。)小豆の粒がテラテラ光り、いい甘さです。秋になると和菓子が恋しくなりますが、やっぱり和菓子は和菓子屋さんですねえ‥‥‥‥。(10月17日)

紀伊国屋のミートパイ


表参道の交差点あたりへ行く用があって時間に余裕があるときには、青山通り沿いにある紀伊国屋のデリに寄り道します。ここのミートパイが目当てです。そこで作ったパン、サンドイッチ、おかずなどを売っていて、コーヒーも売っていて、買ったものを食べる場所もあります。ちょうど焼きたてのミートパイが並んだときに居合わせたら、やけどに気をつけながら即食べちゃうのが最高です。もちろん出来たてじゃなくても、帰ってからチンして温めれば美味です。今日は他にカレーパンと食事用のパンを買いました。(10月17日)


(追記)カレーパンは何故かパリパリしていて、ええーっ?!というほど美味の反対でございました。紀伊国屋のパンでは初めてのことです。なぜだ???

2007年10月14日

麻岡さんのペイパーウエイト


「ギャラリー403」は、おそらく「奥野ビル403号室」からきた名前でしょう。前の日曜日にも開いていたそうですが、狭い廊下の奥にあり、不覚にも見過ごしました。

そこでは「麻岡宏之展」をやっていました。ご本人と奥様がつめていらして、なんともお洒落な熟年カップルです。とくに奥様の着物姿はとても洗練されていました。ギャラリーに置いてあった案内ハガキには「木彫帯留・木版画・和紙ワークス」とあります。確かにそのとおりなのですが、これらの単語からはけっして想像できない、小さな、ユーモアとウイットのある、大人の遊び心といった沢山の作品が展示されていました。帯留めが素晴らしかったのですが、今日は敢てこちらのお話です。

これはペイパーウエイトです。そのわりに重くありませんが、風の強い窓辺でなければ問題なさそうです。紙を丁寧にたたんで重ねて束ねたものを細い麻紐でしっかり束ねてあります。このように小さく折り畳んだ紙に千枚通しを通すのは、思うよりずっと難しいでしょう。どれも5センチほどの大きさで、全部違う紙、全部違う束ね方で、何か精緻なミニチュアの風情です。

紙は和紙のようですが、江戸唐紙といい、障子の紙とかなんとか‥‥‥‥。古い大福帳を使ったものもあります。その中から選んだのは千鳥のような、飛ぶ鳥の絵のあるものです。これだけはかなり下で束ねてり、上が広がった形をしています。また、束の外側はきれいに畳んであるのに中央がデコボコしているところは面白味があると思いました。


このビルのギャラリーで個展を開く人達は、とうぜんこのビルの雰囲気が好きなのだと思います。その時点で既に作家達と私との間に(価値観や美意識に)共通点があるのかもしれません。小さなギャラリーをいくつかのぞくたびに展示された作品にどこかしら惹かれてしまったのは、そのせいかもしれません。

2007年10月10日

銀座 奥野ビル


先週Yさんと出かけたとき、面白そうな個展の案内をもらったといい葉書を見せてくれました。そこで再び一緒に銀座へ繰り出したわけです。場所は銀座一丁目。葉書の地図をみながら歩いているとリアルにレトロなビルが現れました。いくつか看板も出ているので事業所が入っているのでしょうが、建物の案配では住宅のように見えます。思わず近づいてみると、目的のギャラリーはその4階ではありませんか。ウキウキして中へ入りました。



エントランスの内装はタイル! そして金庫! その夢のような光景に、私のカメラはいつの間にか slightly out of focus 。



エレベータは手動です。表の扉とジャバラの檻のようなものを手で開け閉めします。交絢社ビルなき今、この檻のあるエレベータは銀座で2つかもしれません。しかし機械は新しいもののようで、ボタンなど普通でしたし、動きも普通でした。(追記:11月2日のテレビ番組「タモリ倶楽部」がエレベータ特集でこのエレベータが紹介されてました。さすが。今ではメーカーが判らないという話です。)




階段室はこう。手すりは木です。



廊下と部屋のドアはこんな感じ。実際はもっと薄暗い感じです。



実はこのビルは有名だそうです。(そりゃそうでしょうね。)いくつものギャラリーが入っていますし、アート系デザイン系には好きな人が多いはずです。ここは建築事務所だと思います。2部屋を使っているため、2つのドアの分の廊下を自分の領域にして、手前に入口を作り、透明アクリルのドアを付けているわけです。

かつては有名人も住んでいたという高級マンションでした。今でも住んでいる人はいるそうですから、見物に行くには静かに邪魔しないように配慮しなけりゃいけませんね。いやはやなんとも素晴らしい。こういうビルがせめて10棟くらい残っていたらいいのに。(10月7日)

2007年10月6日

東レのトレシーで‥‥‥‥



私は長年の眼鏡人間です。東レのトレシーが発売になったとき、眼鏡を拭くのには一番いい!と思いました。2、3度買ったことがありますが、値段が高いのでもっぱら眼鏡屋さんがオマケに付けてくれるのを使っています。先日家族に言われて十数年ぶりに買ったところ、小さな箱からあらぬ説明書が出てきました。上の写真をよくご覧ください。

「東レトレシーを洗顔用にお使いになる場合は‥‥‥‥」

いつからでしょう? びっくりです。あんなにレンズがきれいになるから顔の垢もぬぐい去ってくれるだろう‥‥‥‥って、おそらく誰かが試したんでしょうね。冗談みたいな話ですが、真面目に説明してあるからには本当なのでしょう。毛穴の汚れや古い角質を取り除くのだそうです。トレシーに洗顔料をつけて、よく泡立てて、そっとなでるそうですが、洗うのに1分、ゆすぎに3分‥‥‥‥くれぐれもこすり過ぎないように等々。トレシーで洗わなくても、トレシー作る泡は他にないほどの細かいので、その泡で洗うだけも汚れの落ちが違うそうで‥‥‥‥。

無地が600円、柄物が800円という値段は眼鏡拭きとしては高価ですが、洗顔グッズと思うと妙なお得感があったりして‥‥‥‥(10月5日)

2007年10月5日

あやしげな秋のシャツ


高校同期のKちゃんが夫君の赴任にともない北京へ引越すことになりました。帰るのは何年後になるかわからないと言います。それなのに辞令が出てひと月足らずの出発とはずいぶん急な話です。ところが当人はいたってご機嫌。なにしろ前の赴任で中国にはまってしまい、その後北京へは13回も行ったそうで、中国語の勉強も続けてきたのです。彼女にとっては満を持しての移住なのかもしれません。

子供も手が離れ、まだまだ若くて元気なときに、自分の好きな国で暮らせるなんてとても幸運だと思います。まるで夫婦だけで定年を待たずに第二の人生を始めるかのようです。しかも大連と上海には既に何年も単身赴任を続けている同期のIくんとKくんがいて、熱烈歓迎コールの連発ですし、長春には恩師H先生もいます。たとえ1000キロ離れていても同じ国で旧い友達が待っている、というのはいい感じです。

というわけでKちゃんの壮行会が決まったとき、例のアイロンプリントのあやしげな「偽キャラTシャツ」を贈ろう!と思いました。しかし9月も半ばでお店の棚は長袖シャツに入れ替わった後です。一番絵になるのは白の半袖Tシャツなので少し困りました、が、どのみち季節は秋。ということで灰色のモックタートルの長袖シャツにし、それに合うようデザインに手を加えました。背景に色を入れ、落ち葉など舞う風情です。中国語の台詞も中国本土用に簡体字にしました。とどめに私のインチキブランド「KNIT-RIT」のタグを作って付け、試し刷りのプリントを包装紙代わりにくるみ、ギンガムチェックのリボンをかけました。

でも壮行会でKちゃんにはおそるおそる手渡したんです。だって基本的に同期生はみんな大人ですから。でもKちゃんはとても喜んでくれましたし、みんなも面白がってくれました。ああ、なんて嬉しいことでしょう。「偽キャラ」がのたまう中国語の台詞は中国では問題があるかも?‥‥‥‥と危惧する向きもありますが、これから北京は寒くなりますからね、セーターを重ね着しますよね。(9月28日)

2007年10月3日

読書の秋・ありやなしや

本を読まなくなって十年以上になります。90年代半ばまで猛烈に読みました。毎月3万から5万円くらい使い、アメリカやイギリスからも段ボール箱で取り寄せたものです。人も羨む仕事を辞めてからは考えるために読み読むために考え‥‥‥‥気が狂いそうな思索三昧をやって知りたいことがわかったら、もう何の本を見ても意味を感じなくなりました。実にわたくしは悟りの境地におりましたのです。それはそれとして、本を買うのは稀になり、買っても実用書が専らになりました。ちょうどその頃から老眼が始まり、文字を見ると疲れるし億劫です。老眼鏡を作りましたが、本は読みつけないと読むのがすごく遅くなります。中断すると戻るのに日にちがかかります。かつては毎日1冊読んだものだ、なんて夢のようです。

泣き言にも似た前置きが長くなりましたが、今日はなんとなく本屋さんに寄り道して、珍しく文庫本を買いました。本当はずっと佐藤優の「反省」が読みたいのですが、私の行く先々ではみつかりません。アマゾンならワンクリック、でもあそこも倉庫で健気に本をさばいているのは日払いの非正規雇用者だときくと、アマゾンで買うのは他で入手できない商品に限ろうと思うのです。だいたい本は本屋さんで手に取って買うのが一番です。ともかく店内をフラフラさまよいながら、今日はこんなのに興味を持ちました。


「江戸俳諧歳時記/上」加藤郁乎著(平凡社ライブラリー)

「上巻」しか売っていませんでしたが。春夏を扱っており、今頃の季節の分がありません。どのみち私には背伸びした本です。これは頭からちゃんと順番に読むのもよいでしょうが、傍らに置き折に触れてパラパラめくるという読み方が楽しそうです。そういえば昔面白い江戸川柳を教わって、しばらく岩波文庫を近くに置いていたことがありました。こちらは少々上品です。江戸の俳句を味わう水準にありませんから、柚の花のことを「ゆのはな」「はなゆず」「はなゆ」と呼ぶのを知り、紫陽花の名の由来など読むだけで満足です。


「完本 文語文」山本夏彦著(文春文庫)

この名前を見て思わず手にとりました。ずいぶん久しぶりです。昔読書家だった頃に信頼していた書き手の一人です。こういう物事のわかった大人がほぼ絶滅した今は文化の廃れた悲しい時代だと思います。この人は樋口一葉(5千円札)の文章を絶賛していましたっけ。私はここ数年急速に広まった広告屋とマスメディアの共謀のような出鱈目な日本語が大嫌いです。人格などかなぐり捨ててガラス窓を叩き割ってわめき散らしたいくらい大嫌いなのです。(このブログでも私は密かなる抵抗を試みており、こんな文章ではありますが、どんなに普通に使われていても嫌いな言葉や言い回しやかな遣いを断固拒否して書いています。)ありし日翁の嘆きはいかばかりであったか。今あらためて、思えばよき時代を生きた気骨ある親父が文語について語るのをきき、冷静を保ちたいと思います。初版は2000年5月のようです。

ジェムアート「縫いのシャツ展」


Yさんのお誘いで日曜日に原宿へ繰り出すことになり、原宿へ行くなら青山まで足をのばして、ジェムアートで開催中の展覧会を見に行けると思いました。先月買った「婦人之友」誌で紹介されていた「縫いのシャツ展」です。鹿児島市の「しょうぶ学園」が長年おこなっているプロジェクト(「縫いプロジェクト」)の作品を展示するもので、Yさんも興味を持ってくれたし、お買物やおやつの後に一緒に行きました。

雑誌に載った写真に、20年くらい前に見てそれはそれは衝撃を受けた「イギリスのニードルワーク展」を思い出し、とても期待したのです。ジェムアートの場所は根津美術館(工事中/閉館中)の向かい、ちょっと前のビルディング1階の洒落た一区画でした。

一歩踏み入れるなり驚きました。小さなギャラリーいっぱいの作品。中央に櫓(やぐら)のような枠を組み、ハンガーにかかったシャツが何十枚もぶらさがっています。もちろん壁にも棚にも椅子の上にもボディにも。

右の写真は上の案内状を拡大したもので印刷のツブツブが出て見づらいのですが、ある「シャツ」の右袖部分です。サラリーマンが着る普通のYシャツに思うままの針を刺し、1年を費やして刺して刺して縮んで歪んでガチガチ・ゴワゴワ、素晴らしいことになりました。多くの「縫い」の作品の中で、このシャツは一つの極限、終着点、そうした位置にあると思います。会場でも、最初に目に飛び込んだのがこれでした。

しかし全てのシャツが作者それぞれが好きなやり方で作った個性的な作品でした。殆どは大人が着用できる形をしており、伊達男が着たら素敵だろうなあと思う洒落たシャツがいくつもあり、いくつかは販売していました。(私には着れないし買えませんが、客観的に値段は安すぎると思いました。2倍くらいが妥当だと思います。)中には下書きの残った作りかけみたいなものもあります。誰もが才能あるわけではありませんし、始めて間もない人もいるでしょう。しかしどれも確実にいい「味」があり、上手くなりすぎた作品よりも私などは好感を持ちます。素材はどれも既製品や古着など質素なもので、糸も木綿、絹、毛糸‥‥‥‥なんでもアリです。しかし着物全部を刺した物凄くゴージャスなローブはアヴァンギャルドで、ハリウッドのパーディーで女優がイブニングドレスの上に着てもいいくらいですし、あるものは真っ赤なシャツに真っ赤な糸をフサフサに刺し、まるでアフリカの儀礼用の力強いファブリックのようです。はたまた「女子トイレ」「ラジオ(周波数と思われる数字が続く)」その他の文字列をシャツ全面にステッチしたものは真にシュール。いずれも色彩豊かで生命力があり、つくるよろこびの発光体みたいで、見ていると自分の中にズンズンズン♪‥‥‥‥リズムがわいてくるようでした。

(ここの部分はまだ上手く解説できないので今日は軽く飛ばします。後でちゃんと書き直す予定です。)

オリジナルの長袖Tシャツもたくさん販売していました。イラストや手書き文字をプリントして、所々に生地のアップリケ(のようなもの)があり、とても味があります。(真似したくなります。)Yさんはあるシャツがかなり気に入ったのですが、「アップリケ」した巾広のゴム(パジャマのズボンの)がどうもマズイと思ったそうです。私も一つ欲しくなりましたが我慢しました。実はその日は既に予算を超えるお買い物をしてしまったからです。後悔しました。

作品の数の多い展覧会では最初に目に飛び込むものと何度も見て回るうちにジワジワ見えてくるものとあります。額に入った作品に気がついたのはだいぶ後になってからでした。その額の中でも途中から見えてきた一つの作品に惹かれました。黒くて目の粗い網のようなものに白い糸を刺したもので、立体的な丸いモチーフがかもしだすやわらかな感じと妙に洗練された感じが不思議なバランスで混じり合って見えます。それを見ていると他の作品がすーっと後ずさって思えました。購入を決めてジェムアートさんに告げると作者名を教えてくれましたが、なんとそれは写真のシャツの作者と同じ「野間口さん」でした。テクニックも色彩もまったく異なるのに、やはり共通するものがあったんでしょうか。

この日は予約だけして、第二部が始まる9日以降に再び見に行ったときに受け取ることにしました。会期後半の第二部ではこうした針仕事のバッグが展示されるそうで、とても楽しみです。

ジェムアート 針仕事の素晴らしさは実際に見なければ想像もできませんが。
「縫い」のシャツ展 前半・9月15日〜10月7日/後半・10月9日〜28日(月休)

2007年9月29日

ハーダンガーと「家庭全科」


「ひなぎく」内の古本屋さんで買った本です。

最初に目にとまったのはハーダンガーの本。ホチキス止めのパンフレットのような古いデザイン集で、スエーデンで出版されたものでした。ハーダンガーは荒い平織りの生地の糸を切ったり抜いたりして、そこを糸でかがっていく刺繍です。白地に白い糸で刺すのが基本で、デザインも流行などないに等しく、1色刷の古本でもぜんぜん問題ありませんね。私の姉が好きなので、買ってあげたいと思いました。こういう本は見ているだけで楽しいので、何冊あっても困らないはずですから。(なにしろ300円です。)



その後、ちょっと目立たない棚の中の箱の中に家庭雑誌が何冊かあり、なんと「家庭全科」を2冊見つけました。「家庭全科」は昭和30年代〜40年代の月刊誌で、当時の「家庭画報」と同じ種類の主婦向けグラフ雑誌です。私はハタチ頃に古本屋さんで気に入って買った十数冊を大事に持っている「愛読者」ですから、ダブらない号は即買いです。庶民には手の届かない社長さんの奥さんか銀幕のスターかというような、戦後の富裕層のハイカラなライフスタイルを垣間ることができます。古めかしさ、懐かしさ、カッコよさが入り交じって、昔の憧れに憧れます。また、見ていて楽しいだけでなく、結果的には「戦後」が夢見た「豊かさ」の方向性を示しているようで興味深いのです。(1966年1月号、1966年3月号、各200円)



60年代の「ミセス」が何冊もあり素敵でしたが、どれも1冊1500円以上するので諦めました。(9月24日)

2007年9月28日

ウエイトローズのパスタソース


隣の駅の駅前にピーコック(スーパー)があり、ときどき行きます。隣の駅といっても昔毎日歩いて通った中学校のそば、今は老いた足でも15分くらいですから。ピーコックはイギリスのウエイトローズという食品メーカー(食品店?)と提携しているようで、小さなコーナーがありました。(近頃は売れ残りみたいな、限られた商品が少し置いてあるだけです。)ウェイトローズというブランドに予備知識はありませんが、まず見てくれ(パッケージ)が洒落ていて惹かれます。一番好きなのはオイルサーディンでした。バーミセリもなかなか。(ニンジンとコリアンダーの即席スープは箱はいいけど味で失敗でした。)このパスタソースも瓶の形がいいから買いました。

買ってから3ヶ月くらいたつかもしれませんが、今日未明おなかが空いて、ふとこのソースを思い出して食べたくなりました。まずは瓶をあけてお匙をつっこみ味見をすると‥‥‥‥ウマイ! これはもうスパゲティを茹でなきゃいられません。夜中ですから控えめに70グラムにし、それくらいの量ならこのお皿です。25年か30年前に買った大橋歩のイラストの深皿で、今でもお気に入りです。(サラダボールやマグカップなど一通りあり、色違いもありましたが、買ったのは深皿だけでした。)このフォークもお気に入りで、ジョナサン(ファミレス)のお持ち帰りに付いてくる透明のプラスチックです。

「マスカルポーネとトマトのパスタソース」を茹でたてのパスタにそのままのせて和えましたが、マスカルポーネは熱で溶けてしまい、ソースとしての味は味見のときのほうが好きかも。でも普通のトマトソースよりクリーミーで、酸味もきいて、とっても美味しかったのでした。残りにカビを生やして駄目にしないように、早く続きを食べなきゃと思います。(9月28日)

2007年9月26日

カフェ・ひなぎく@荻窪



夏の間はお部屋が暑いからと、秋を待って開かれたIさん宅恒例の落語会が9月24日にありました。私は楽しみにしていたのに、不覚にも遅刻して、落語を聞けませんでした。しかし、この日は1年ぶりにやってきたHくんが落語の後にお喋りしようということで、主催者Iと私の高校同期の3人と、Yさんの4人で会場のお部屋に残りました。のんべえのHくんはワインの栓を抜き、Iもつまみを提供してくれて、10歳も若いYさんは何故かまったく世代ギャップがなくて、いい感じでお喋りがはずみました。私はアルコールが苦手でしたが、前にYさんに教わったとおりお水を飲みながら試したところ、アルコールの分解が促されて、一番弱いワインにほんとにまったく酔わなかったのです。いやー、大したものでした。(そのかわり、とっても面白かったのはわかりますが、何を話したか詳細を思い出せません‥‥‥‥やっぱり酔ったんでしょうか?)

それから外で続きをやろうということになり、Iは荻窪駅近くの「カフェ・ひなぎく」というお店に案内してくれました。これが大ヒット! 白山神社の斜め向かい、階段を上った2階で、知らなければ見過ごしてしまいそうです。(上の写真は道ばたの看板です。)中は木の空間で、とても落ち着いています。大きな声は憚りますが、とてもリラックスできる小さなお店です。飲み物の種類がものすごく多く、食べ物は自然派でした。私達は軽くこんな感じになりました。
私はルバーブという野菜を食べてみたいと思っていたので、「ルバーブのタルト」と見て迷わず注文しました。あとはバウルーで焼いたホットサンド2種類をみんなで分けて食べました。どれもおいしかったのですが、このお店の食器がスバラシかったのです。どれも「作家物」のようでした。とくに取り皿用のお皿がザラっとした手触りのとてもきれいなお皿で、帰りにお店の人に尋ねてしまったくらいです。

このお店が面白いのは中に古本屋さんがあることです。小さなお店ですが、文学、アート、絵本、家庭雑誌など、なつかしさいっぱいのレトロな古本古雑誌ばかりです。また自費出版のような新しいすてきな本もありました。私達の席は古本屋さんのコーナーの隣でしたから、食べたり喋ったりしながら、かわるがわる本を見に行ったり。この感じもここならではだと思いました。(9月24日)

2007年9月21日

カーテンの端切れ

端切れといっても、これは1m巾で2.5mあります。サンゲツや川島織物など高級品ばかりのカーテン専門店では、店先のワゴンに積んだ安売りの端切れも当然ゴージャス。この日選んだのは、暖かみのある淡い色調のカーテンらしいジャガード織です。

植物のような模様は何歩も離れると見えてきますが、細部の織りがかなり凝っています。広幅で、おそらく1mあたり数千円ですから、買えば1万円何千円でしょうけど、これは1000円です。アイロンの折り目を伸ばした跡があったり、ミシンをほどいた跡があったり、もしかしたら作りかけてやめた物かもしれません。

生地の質感やプリントが好みだという理由で生地を買うことが多いのですが、このたびは目的があります。西向きの戸口に西日よけになる物を作ります。カーテンというよりスクリーンという感じで、タックなし、縁だけかがって、つっぱりポールに通して下げる、という形にする予定です。もちろん手縫いで。

計ってみると60センチ以上余りました。カーテン地はクッションカバーに最適ですが、大ぶりなバッグ、昔ふうのチョッキも楽に作れそうです‥‥‥‥ということは、何にしようか迷って何も作れずに終わるかもしれません‥‥‥‥。

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